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日大全共闘


『生きてる 生きてる 生きている
バリケードという腹の中で
生きている
毎日自主講座という栄養をとり
“友と語る”という清涼飲料剤を飲み
毎日精力的に生きている
生きてる 生きてる 生きている
つい昨日まで 悪魔に支配され
栄養を奪われていたが
今日飲んだ“解放”というアンプルで
今はもう 完全に生き変わった
そして今 バリケードの腹の中で
生きている
生きてる 生きてる 生きている
今や青春の中に生きている』

1968年に作られその十数年後、宗田理が「ぼくらの七日間戦争」で
引用したことで、長く命を保ったようだ。何か不思議な生命力を持った詩だ。

欠点を上げればいくらも挙げられる。
語感が良くもなければ、語彙が豊富でもない。
特に「生き変わった」は「生き返った」と「生まれ変わった」の間の造語だろうか、
「生まれる」という語を避けたかったのか。(母を連想するから)
むずむずする。「悪魔に支配され、栄養を奪われていた」も舌足らずに聞こえる。
悪魔(日大会頭F氏のこと?)に生血を吸われていたの意味か?
しかし、50年近くも生き残ったわけは最初の3行と最後の3行の力だろうか。

バリケードこそ築かなかったけれど、高校から大学への灰色の長い時が過ぎたあと、
日頃疎遠な級友たちと語りあった、高揚した一夜をふと思い出す。

この詩に、学ぶことがある。
詩にとって肝心なのは語彙の豊富さや、形の洗練ではないということだ。
良く生きようと勇気をもって未知に飛び込み、生きていくうちに
自分が変わったと感じた時、喜びがあふれてこの詩ができたのだろう。
強い思いこそが、まっすぐ人の心に届く。
人間の敵は劣等感と、自意識過剰、それがもたらす怠惰さである。
表現することを急ぐひとよ、まず良く生きることを目指せ。

→「ぼくらの七日間戦争」14-7-15
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