1979年 岩波文庫上下2巻 訳 中村白葉
トルストイの晩年の大作。これまで敬遠して来たがなぜか急に読みたくなり、そうなると気が急いて何かと便利なこの文庫を選んだ。
なぜ敬遠して来たか?それは「復活」といえば反射的に思い出す「カチューシャかわいや、別れのつらさ」のせいだ。松井須磨子の細い歌声の印象も強く、新派悲劇のような感傷的な小説かと思っていたのだが、読み始めるとまるで違うことに気づいた。
まずトルストイも70代の作品なので、皮肉なリアリズムが強い。初々しい青年の恋愛心理もあるが、裁判所、牢獄、囚人輸送、陪審裁判の描写など細かい。社会・宗教・政治・軍隊・裁判など種々の問題提起をしている骨太な作品だ。
トルストイは生まれながらに特権を持つ貴族の遊惰さと、対照的な農民の貧苦、軍隊将校の放埓な生活、男性から女性が蒙る害などに心を痛めた。すべて自分にも覚えがあったのだ。ある訪問客の話に感動して、初めはその人に書くようにと薦めたが、結局自分で書いたとのこと。
小説は、彼の巨大なエネルギーのほとばしるままに、多くの人物が登場し、そこまで書くか、多少は端折ってもいいのではと思うが、それは私が淡白な日本人だからだろうか、まるで従軍記者のルポのような小説だなと思った。
主人公ネフリュードフはその転落に責任を感じる売春婦カチューシャと結婚し、流刑地について行くという決意をたびたび述べているので、てっきりそうしたのかと思っていたのだが、現実によくあるように、結婚を申し込まれて女性が感謝感激するとは限らず、結局そちらは尻切れトンボに終わってしまい、シベリアが出てくる「罪と罰」とはずいぶん違う。それはドストエフスキーが実際に5年間受刑し、トルストイはそうでないことと関連があるのだろう。経験のないことには控えめなトルストイは正直な人だ。
島崎藤村の「新生」はタイトルも似ているが、この小説に影響されたのではと思える節が処々にある。(表面的な影響だが)また北御門二郎訳(↓)によれば、京大事件は滝川教授が「復活」に触発されて書いた論文が当局の忌諱に触れたことから起こったらしい。
北御門二郎訳「復活」東海大学出版部版
→「北御門二郎」12-2-19
→「文読む月日」21-10-13
→「トルストイも空気も読まなかったころ」12-2-22