映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
【本】道徳を否む者
2007年04月17日 / 本
著者 きだみのる(1895-1975) 発行所・年 読売新聞社 1971年
「きだみのる自選集・第2巻」(図書館より4・11~)
現象氏のブログで映画「気違い」(3月12日記)を読んで食指が動き、図書館から借りて読んだ。
放浪の作家、きだみのるの人物像は、私の中で長い間、はっきりしないままだった。顔写真を見たのもつい最近。ベレーの似合う丸顔だとばかり思っていたが、実は長方形だった。(石坂洋次郎と混同していた)
へんぴな山村の議会に立候補して、みごと落選、「気違い」シリーズでその顛末を書いた風変わりな人であり、三好京三の「子育てごっこ」(1975年直木賞受賞)に登場する、娘を託して、実直な分校教師、三好夫妻の生活を破壊した、はた迷惑な人。
それくらいしか知らないでいた。ところが、著作を読むにつれ、一作ごとに彼のイメージが極端に変化するので「端倪すべからざる人物」とはこの人のことだと思うにいたった。
「作家・社会学者。1895年鹿児島に生まれる。鹿児島、台湾、次いで東京で中学時代を過ごす。中学四年の時、トラピストへの家出、自殺未遂事件で親類の勘当を受け、アテネ・フランセ創始者ジョセフ・コットにひきとられる。慶大中退後パリ大学で古代社会学を学ぶ。その間、社会学者モース、社会主義者オデーらと交流。帰国後アテネ・フランセでフランス語とギリシャ語を教える。第二次大戦勃発直前から最近まで(1971)八王子近辺の廃寺に住みつき、ユニークな創作、文明批評を数多く発表。旅行家としても有名で、その足跡は南北アメリカ大陸を除く全世界に及ぶ。現在、農村の生活の研究に力を注ぎ、農村問題研究所の設立を計画中。また比較農村学の立場から、愛嬢ミミとともに戦火の東南アジアをしばしば訪れている。現在の仕事部屋は長野県飯田ヘルスセンター内にある」(『きだみのる自選集』巻末の著者紹介部分)
「道徳を否むもの」(1955)は、家出先の函館トラピスト修道院でのジョゼフ・コット氏との偶然の出会いから、最後の別れに至るまでを主軸として自身の内面の軌跡を書いたもの。かれの保護者・指導者となったコットの慧眼とユニークな人柄、(みのるの政治家としての資質?を予言し、心のままに生き、自由を何よりも求める傾向を「最初の衝動」と表現した同氏。)このふたりの孤独で純粋な人間の結びつきに、深く胸を打たれる。余談だが、アテネフランセで学んだ坂口安吾も「日本文化私観」の中でコット氏に言及している。いかにも安吾らしい、冷静で皮肉な語り口で。
彼を奇矯な人としか見ない文壇を含めた大衆に対し、吉田健一は彼を高く評価して「きだ・みのる氏の一連の作品に見られる風刺や、教養の深さや、視野の広さがどこから来るかはこの『道徳を否む者』を読めば解るだろう。これは一人の現代の知識人が辿った遍歴の跡を語る、類例がない位美しい魂の告白である」と評している。
最近読んだものを列挙すると
①「気違い周游紀行」冨山書房百科文庫(3・30~4・3図書館より借用)
②自選集第3巻(4.6~) ③自選集第2巻(4・11~)
①は、戦後日本に閉じ込められた窮屈さの中で、かつて自室に閉じ込められた何とか言うフランス人が「部屋を巡る紀行」というエッセイを書いているのに倣い、周遊紀行としゃれたわけ。※「気違い」と打つと「基地外」と変換する、閉口頓首。この「言葉狩り」何とかならないものか?!
②自選集第3巻の「モロッコ」は、1939年(第二次大戦の直前、余儀なく帰国する前に)に現地に滞在してなされた著作。「南氷洋」は戦後マグロ漁船に半年乗り込んだ時の記録。そこで出会う1人1人を類型的に見ず、個人として対する姿勢は、一貫する。
③自選集第2巻に併録された「精神の玩具」は、山村の選挙顛末記。都会から来る女性と恋愛関係になり、山村を出るにいたる様子がさらりとユーモラスに描かれる。(未完成)
→「DNA」14-8-11
「きだみのる自選集・第2巻」(図書館より4・11~)
現象氏のブログで映画「気違い」(3月12日記)を読んで食指が動き、図書館から借りて読んだ。
放浪の作家、きだみのるの人物像は、私の中で長い間、はっきりしないままだった。顔写真を見たのもつい最近。ベレーの似合う丸顔だとばかり思っていたが、実は長方形だった。(石坂洋次郎と混同していた)
へんぴな山村の議会に立候補して、みごと落選、「気違い」シリーズでその顛末を書いた風変わりな人であり、三好京三の「子育てごっこ」(1975年直木賞受賞)に登場する、娘を託して、実直な分校教師、三好夫妻の生活を破壊した、はた迷惑な人。
それくらいしか知らないでいた。ところが、著作を読むにつれ、一作ごとに彼のイメージが極端に変化するので「端倪すべからざる人物」とはこの人のことだと思うにいたった。
「作家・社会学者。1895年鹿児島に生まれる。鹿児島、台湾、次いで東京で中学時代を過ごす。中学四年の時、トラピストへの家出、自殺未遂事件で親類の勘当を受け、アテネ・フランセ創始者ジョセフ・コットにひきとられる。慶大中退後パリ大学で古代社会学を学ぶ。その間、社会学者モース、社会主義者オデーらと交流。帰国後アテネ・フランセでフランス語とギリシャ語を教える。第二次大戦勃発直前から最近まで(1971)八王子近辺の廃寺に住みつき、ユニークな創作、文明批評を数多く発表。旅行家としても有名で、その足跡は南北アメリカ大陸を除く全世界に及ぶ。現在、農村の生活の研究に力を注ぎ、農村問題研究所の設立を計画中。また比較農村学の立場から、愛嬢ミミとともに戦火の東南アジアをしばしば訪れている。現在の仕事部屋は長野県飯田ヘルスセンター内にある」(『きだみのる自選集』巻末の著者紹介部分)
「道徳を否むもの」(1955)は、家出先の函館トラピスト修道院でのジョゼフ・コット氏との偶然の出会いから、最後の別れに至るまでを主軸として自身の内面の軌跡を書いたもの。かれの保護者・指導者となったコットの慧眼とユニークな人柄、(みのるの政治家としての資質?を予言し、心のままに生き、自由を何よりも求める傾向を「最初の衝動」と表現した同氏。)このふたりの孤独で純粋な人間の結びつきに、深く胸を打たれる。余談だが、アテネフランセで学んだ坂口安吾も「日本文化私観」の中でコット氏に言及している。いかにも安吾らしい、冷静で皮肉な語り口で。
彼を奇矯な人としか見ない文壇を含めた大衆に対し、吉田健一は彼を高く評価して「きだ・みのる氏の一連の作品に見られる風刺や、教養の深さや、視野の広さがどこから来るかはこの『道徳を否む者』を読めば解るだろう。これは一人の現代の知識人が辿った遍歴の跡を語る、類例がない位美しい魂の告白である」と評している。
最近読んだものを列挙すると
①「気違い周游紀行」冨山書房百科文庫(3・30~4・3図書館より借用)
②自選集第3巻(4.6~) ③自選集第2巻(4・11~)
①は、戦後日本に閉じ込められた窮屈さの中で、かつて自室に閉じ込められた何とか言うフランス人が「部屋を巡る紀行」というエッセイを書いているのに倣い、周遊紀行としゃれたわけ。※「気違い」と打つと「基地外」と変換する、閉口頓首。この「言葉狩り」何とかならないものか?!
②自選集第3巻の「モロッコ」は、1939年(第二次大戦の直前、余儀なく帰国する前に)に現地に滞在してなされた著作。「南氷洋」は戦後マグロ漁船に半年乗り込んだ時の記録。そこで出会う1人1人を類型的に見ず、個人として対する姿勢は、一貫する。
③自選集第2巻に併録された「精神の玩具」は、山村の選挙顛末記。都会から来る女性と恋愛関係になり、山村を出るにいたる様子がさらりとユーモラスに描かれる。(未完成)
→「DNA」14-8-11
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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おもしろい映画の特集を組んでますね、あそこ。
ほんの一面しか知らないくせにそれでしたり顔で知った風な口を聞くということを、
以前はよくしていたんですけれどもそれではイカンと思い直している今日この頃です。
世の中には似たような名前の人がいるものですね。「きだみのる」氏は寡聞にして知りませんでした。