吉倉オルガン工房物語

お山のパイプオルガン職人の物語

いかなる神にわれらは供物もて奉仕すべき

2015年10月05日 | 思うこと

居酒屋での話から。

千葉の小さな居酒屋で、マスター夫妻や常連客、千葉大生と話しをしていて改めて気付いたのです。

僕ってば本当に色んなところで何度も瀕死の状況に陥っていたのね。
でも何とか助かって生き延びてる。 
自分が不思議な力を出したこともあるし、人が現れて助けてくれたこと、見えない誰かに支えられて歩けたことも。 

ある意味、強運なのだろうか?
でも本当に運の良い人はそもそも危機に陥らないんじゃないだろうか? 
危機に陥ってそこから生き延びることを要求されているのだろうか?
僕にはそういう痛みや苦しみを経験することが必要とされているのだろうか? 

何としても生きたいと思ったこともあった、もういいやと思ったこともあった、天に向かってオレを助けろと吠えたこともあった。

で、助けられてしまった以上、お礼をしたいのだけれど……。

いかなる神にわれらは供物もて奉仕すべき

リグヴェーダですね。はい、知ったのは諸星大二郎からです。

僕の拠点は諏訪大社の神域なので、タケミナカタ神でしょうか?
仕事でお世話になっているのは圧倒的にキリスト教ですし。
僕自身の思想の基本は初期仏教(以前は原始仏教と言った)なので、宗教や信仰と言うより哲学です。 
ご先祖様?両親?守護霊?

わからないから、その時その時に関わりのある人たちに感謝するように心がけています。
それから、出来るだけ僕も人を助けられるように。

それでも時々は僕の運命を司る存在がもしいるのであれば知りたい、感謝したいと思うのです。
多少の文句も言いたいのは本音です。


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