吉倉オルガン工房物語

お山のパイプオルガン職人の物語

オタク時代3(T氏のこと)

2006年08月21日 | 自分のこと
科学部SF班も年が下るほどに、一般人化していきました。
逆に言えば、それほど先輩達は濃かったのです。

部室長屋の向かいの部屋は弱電部で、科学部SF班とは深い関係にありました。
80年頃の話ですから、コンピューターは今からは考えられないほど能力は低く、それでいてすごく高価でした。
MZ80とかベーシックだのの時代で、メディアはカセットテープでした。僕はそっちには行かなかったのでさっぱりなのですが。

実は、先輩に教わったことはあるのですが、文字ばかりの画面はつまらないし、コマンドは面倒だしで、入り込めなかったのです。
シューティングゲームはすでにあったので、コンピューターの操作画面がそんな感じ、つまり、項目が絵になっていて、それをピコッと撃つと起動するようなインターフェイスがあるといいなあ、と思っていました。
その辺を進めていたら、アイコンとポインタのGUIを先取りできたかもね。

そんなコンピューター、当時はマイコンかな、でもってゲームを作って秋葉原の電気屋に売っている先輩達もいました。
インベーダーゲーム(知ってます?)のようなシューティングなんかもキー操作を誤ると動きが止まってしまうような素朴なものでしたが、それでも数十万になったようですし、開発のためということで、電気屋からコンピューターを提供してもらったりしていて、彼らは当時の高校生らしからぬコンピューター環境を得ていたのです。

T氏もそんな先輩のひとりでした、僕より一つ上で、のちに科学部部長となりました。
ちなみにその次の部長は僕です。
T氏は、良い人ではあるのですが、目立つ顔立ちで(本人はガルマ・ザビを気取っていた風が…、わかりますか?)、ちょっと皮肉屋で、人の感情わざとを逆なでするようなところがあり、しかも、頭が良くて口が立つので、かなり彼を嫌う人も多かったのです。

あるとき、僕が同級生の女の子(別にカノジョではないです)に、
「T先輩と付き合わないで欲しいんだけど…」
なんて言われたことがありました。事情を聞いても話してくれなかったのですが、彼女はとても魅力的で(ちょっと魔的な雰囲気もあったな)、同級生や先輩から声をかけられていたようです。そのなかでT氏となにかあったのだろうけど、僕にまでそんなことを言って来たくらいだから相当イヤなことがあったのだろうなあ。
まあ、そんな風に、嫌われるときは蛇蝎の如く徹底的に嫌われる人でした。
T氏を知る僕の同級生の男子もたいていは彼を嫌ってました。

かさねて念を押しますが、良い人なんですよ。優しいところもあったし、真面目に深い話もちゃんと出来る人だったし、女性関係はクールで長続きしないようなことをいうわりには一途だったし。
僕自身は一緒にいて快適でしたから。

その後、T氏は大学在学中より、かつてのSF班の仲間と、コンピューター雑誌でページを持ち、好評を博しました。
そして、業界入りし、ゲームプロデューサーとしてその筋では有名になりました。

数年前、彼の名前を検索にかけてみたところ、2chあたりのゲーム関係の板ではボロクソに書かれてました。
ああ、相変わらずだなあ、と思ったものです。

T氏は今も業界で活躍していますが、きっと毀誉褒貶激しいなかでやってるんでしょう。

…ほんとは良い人なんですけどね…

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