ヒーローといえば、ウルトラマン、仮面ライダーの世代です。
ただ、彼らは異星人であるとか、改造人間であるとかいうことはあっても、人間としての日常や、他の登場人物やその周辺の物語があるわけです。
こういったヒーローは、強すぎてはならないという制約があります。
ヒーローが絶対的に強くては、物語にならないのです。
ヒーローがそれなりの弱さ、弱点を持つことが、周囲の人間たちを生き生きと描き、またそのヒーローの存在感、近親感へと繋がるのです。
これは、神話的世界からそうで、アキレス、サムソン、ジークフリート、ク・フリン…、枚挙にいとまがありません。
皆、超人的な力とともに弱点も持ち合わせていて、悲劇的な最後を遂げるのです。
これがヒーローのひとつの典型です。
では完全無敵のヒーローとは?
ちょっと考えて思いつくのは、「ゴルゴ13」と「黄金バット」くらいです。
彼らは、物語の中で、一定の決まりきった役割を果たす「道具」でしかありませんし、タイトルは張っていても、実質的には主役たり得ません。主役はあくまで周囲の人間となります。
でもね、好きなんですよ「黄金バット」(昭和42~43年のアニメ版)。
どんな超科学兵器や怪獣の攻撃を受けても「ワハハハハ」と笑い飛ばす痛快なヤツ!
「強い、絶対に強い。正義の味方、我らの黄金バット」
ああ、その通りだ!
あそこまで強けりゃもう文句はありません。
コウモリを使いとし、顔はドクロ。そのダークなモチーフと金色の身体の正義の味方で高笑いという陰陽の組み合わせは見事としかいいようがありません。
人物像のある特性を印象付けるために、それと反対の特徴を与えるというのは、ドラマや漫画やアニメなどの図像表現では広く使われていますね。
例えば「ワル顔の良い人」「善人顔の悪人」など。
不良然としたガキが動物をかわいがっていたりすると、すごくイイヤツに見えたりね。
陽気なドクロのモチーフは、ヨーロッパの「死の舞踏」のイメージ、死者が踊りながら生者を死に連れてゆくものでペストの大流行を描いたものですが、これに通じるものがあります。
陽気に踊る死者が、世俗の権力も軍事力も信仰さえも受け付けず、富める者も貧しい者も悪人も善人も分け隔てなく死に誘うのです。
圧倒的な強さの踊るドクロ。この「踊る」という陽の動作を与えたのは実に素晴らしいですね。
黄金バットの製作者(これは戦前の紙芝居からです!)がそれを意識していたかはわかりませんが、これは実に由緒正しい「力」の象徴です。
よしっ、ネタ切れのハリウッドよ!次は黄金バットだ!
で、そもそも何故こんな話になったかというと、仕事が進まないからです。
予定調和でもご都合主義でも良いから助けてくれい!
夜中に仕事をしてくれるのは小人さんか?その辺にいそうな気が…。
そしたら、翌朝起きたら仕上がっているのね。
その代償は、僕が家に帰ったら最初に触れる生き物を渡すということで、僕はあおくん(アオダイショウ・ヘビ)を想定しているんだけど、その日に限って、娘が飛びついて来てしまうのね。
さあ、ここからが問題です。
1.僕が約束を破って、残酷な復讐を受ける。
2.約束を反故にする代わりに厄介なタスクを受けることで何とかなる。
3.約束を守って娘を渡すが、小人は実は呪いをかけられた王子様で、呪いが解けて娘は王妃に。僕はその父として権力を握ってムフフフフ…。
だんだん都合良くなっております。
だめだ!現実に戻らなきゃ…。
ただ、彼らは異星人であるとか、改造人間であるとかいうことはあっても、人間としての日常や、他の登場人物やその周辺の物語があるわけです。
こういったヒーローは、強すぎてはならないという制約があります。
ヒーローが絶対的に強くては、物語にならないのです。
ヒーローがそれなりの弱さ、弱点を持つことが、周囲の人間たちを生き生きと描き、またそのヒーローの存在感、近親感へと繋がるのです。
これは、神話的世界からそうで、アキレス、サムソン、ジークフリート、ク・フリン…、枚挙にいとまがありません。
皆、超人的な力とともに弱点も持ち合わせていて、悲劇的な最後を遂げるのです。
これがヒーローのひとつの典型です。
では完全無敵のヒーローとは?
ちょっと考えて思いつくのは、「ゴルゴ13」と「黄金バット」くらいです。
彼らは、物語の中で、一定の決まりきった役割を果たす「道具」でしかありませんし、タイトルは張っていても、実質的には主役たり得ません。主役はあくまで周囲の人間となります。
でもね、好きなんですよ「黄金バット」(昭和42~43年のアニメ版)。
どんな超科学兵器や怪獣の攻撃を受けても「ワハハハハ」と笑い飛ばす痛快なヤツ!
「強い、絶対に強い。正義の味方、我らの黄金バット」
ああ、その通りだ!
あそこまで強けりゃもう文句はありません。
コウモリを使いとし、顔はドクロ。そのダークなモチーフと金色の身体の正義の味方で高笑いという陰陽の組み合わせは見事としかいいようがありません。
人物像のある特性を印象付けるために、それと反対の特徴を与えるというのは、ドラマや漫画やアニメなどの図像表現では広く使われていますね。
例えば「ワル顔の良い人」「善人顔の悪人」など。
不良然としたガキが動物をかわいがっていたりすると、すごくイイヤツに見えたりね。
陽気なドクロのモチーフは、ヨーロッパの「死の舞踏」のイメージ、死者が踊りながら生者を死に連れてゆくものでペストの大流行を描いたものですが、これに通じるものがあります。
陽気に踊る死者が、世俗の権力も軍事力も信仰さえも受け付けず、富める者も貧しい者も悪人も善人も分け隔てなく死に誘うのです。
圧倒的な強さの踊るドクロ。この「踊る」という陽の動作を与えたのは実に素晴らしいですね。
黄金バットの製作者(これは戦前の紙芝居からです!)がそれを意識していたかはわかりませんが、これは実に由緒正しい「力」の象徴です。
よしっ、ネタ切れのハリウッドよ!次は黄金バットだ!
で、そもそも何故こんな話になったかというと、仕事が進まないからです。
予定調和でもご都合主義でも良いから助けてくれい!
夜中に仕事をしてくれるのは小人さんか?その辺にいそうな気が…。
そしたら、翌朝起きたら仕上がっているのね。
その代償は、僕が家に帰ったら最初に触れる生き物を渡すということで、僕はあおくん(アオダイショウ・ヘビ)を想定しているんだけど、その日に限って、娘が飛びついて来てしまうのね。
さあ、ここからが問題です。
1.僕が約束を破って、残酷な復讐を受ける。
2.約束を反故にする代わりに厄介なタスクを受けることで何とかなる。
3.約束を守って娘を渡すが、小人は実は呪いをかけられた王子様で、呪いが解けて娘は王妃に。僕はその父として権力を握ってムフフフフ…。
だんだん都合良くなっております。
だめだ!現実に戻らなきゃ…。
小人さんは無償で仕事をやってくれるでしょう
そして、心優しいひろにゃんさんはお礼に
自分のアトリエの横に 小人さんたちのためにかわいいおうちを作ってあげる...
大喜びの小人さんたちは、ひろにゃんさんが遅くまで仕事する時はいつも助けてくれます
昨晩は気が付けばもう朝7時でした。はう~ん、夜が短い。
小人さんは来ませんでした。
単純連続労働時には、以前撮りためておいたビデオを流しています、98~2000年頃のものです。
ウルトラマン・ガイアの歌が沁みます。
♪ギリギリまでがんばって ギリギリまで踏ん張って どうにも どうにも どうにもならない そんな時 ウルトラマンが欲しい♪
ああ~、ほんとに!
でも、ウルトラマン、細かい仕事出来るのかな?