いや、オレ自身のことじゃなくてさ。
そりゃまあ、孤独ですけど、ボッチですけど。
よく学生を描いた作品(主にラノベ原作のアニメ)で、SNSなんかで常に連絡し合う女子高生なんかがいて、それはもう強迫観念的に形だけの友だち関係を維持しようというような感じで。
で、友だち(僕の常識では友だちなどではないのだが)が居ないことは「恥ずかしい」というという描写をいくつかの作品で見たのです。
あと、スクールカーストとか。
ほんとにあるのだろうか?そういうの。
若者の共感を得ているわけだから全くのデタラメということもないのだろう。
寂しいというよりも恥ずかしいそうだ。
昔からあることはあったよ。女子がやたらグループを作るのとか。
でも男子はあまり無かったような気がする、あ、ヤンキー的なグループってのはあったかな。
SNSだのでその辺が進んでいるのだろうな。
僕は気分が乗らない相手と上辺だけ仲良くするのとかはする気がない質だったから、群れたがる人たちの気持ちは理解出来なかったし、今も出来ない。
たまたま見つけたのがこの記事。
現代における「恥」というのは外部の視点、観察者の視点を基準としたものだと思う。
どんなにみっともなくて、卑怯卑劣であってもバレなきゃOK。人が指摘しない限りそれは「恥」ではないということ。政治家なんて見事にそうだな。
かつてあった、他人がなんと言おうと己が信条に恥じるとかいう「恥」。
誰も見ていなくてもお天道さまが見てるという「恥」はすでに過去のものなのだろう。
若者も中高年も他人の目を気にし、自分を殺し、我慢して。
で、孤独。それを知られると恥?
孤独っていってもオレの孤独とはだいぶ違うな。
この辺にはいろいろ思うところはあります。
政治か企業の導きなのか「核家族化」「少子化」の道を進んだ以上、その先で孤独が身近になるのは必然だといえます。
やってくるそいつとどう付き合うのか?
個人の力?社会の制度?企業のビジネス?
ま、ここらで思うことはまた時々。
今はスマホを持っていない高校生はほぼいないらしい(友人の高校教師から聞いた)
朝も夜も休日も関係なくLINEでつながっちゃうから、人によってはめんどくさいみたい
文化祭の前とか特に
うちらの頃は携帯もメールもSNSもなかったから気楽だったよね
坊ちゃん嬢ちゃん学校でのんびりしてたってこともあるかもしれないけど
少なくとも男子の間では面倒な人間関係はなかったと思う、個人主義的な学校だったしね
それでいて文化祭の前は習志館に泊まり込んだりして、当時はメリハリがあったってことかな
僕も個人事業主で孤独なんだけど、別に気にならないなあ
(中学生とコミュニケーションが取れるから孤独とはいえないかもしれないけど)
逆に群れているヤツらをみると可哀想に思ったりはするな
谷山浩子だって「星のマリオネット」の中で「ひとりが淋しいなんてただの病気さ」って歌ってる
時々、風邪ひいたみたいに人恋しくなるくらいがちょうどいいんじゃないかな
今回は残念でしたが、まあ、また近くに来るときがあったら声をかけてくれ
まあ、アレだ。比較的ヒマな時期にでもまたね。
僕らの高校時代に携帯があったら……。
なんかドロ沼が深くなっていたかも。
人間関係の生存性が高まって、自然淘汰とか、自然消滅とかが起こりにくくなって、ああ、それはしんどそう。
孤独の怖いところは、それに向き合わないで対症療法的、その場しのぎ的に過ごしてきた人がそれに直面した時、それに取り込まれた時、他者を害する存在になる、いわばゾンビ化するということなんだ。
実は最近、そういうゾンビたちがすごく問題なんじゃないかと感じているのだ。
救われないと自分で自分を思っている存在は他者を害するのだ。
ゾンビは自分たちだけで食い合っていれば良いのに生者を襲うのだ。
ゾンビ化した人間にはゾンビは認識出来ないのだ。
そんなやつらが跋扈する現実に解体屋のパーツや自作パーツを寄せ集めて作ったマシーンで、ミッションディスクを書き換えて挑むのだ。