まっちーの雑記帖

猫、メタル、バリアフリー、政治など。高知市の外れに住んでます。高知の話題もちょっと。

我が家の不登校ものがたり①

2016年09月11日 | ◯昔話(思い出話)
我が家には息子、娘が合わせて6人いる。

長男は不登校と言われるような状態にはならなかったけど、かなり学校に行くことに対して緊張を強いられていたと思う。
なので、もし、最初から学校には行かなくてもいいんだよという雰囲気が我が家にあったなら、迷わず第1号になっていたと思う。

我が家で最初に文科省のいうところの(ちゃんとした=>定義に当てはまる)不登校児になったのは、長女(2番目の子、妹)だった。


なので、長女(さきちゃん)の話から始めていこうと思う。



長男(こうくん)と長女(さきちゃん)は年子で、しかも妹の方が生まれた時の体重も大きかったので、周りからはお姉ちゃんと弟のように見えてたらしい。
遊びも同じような事が好きだった。
女の子っぽいおもちゃを欲しがりもしなかったし、祖父から買ってもらっても見向きもしなかった。
興味があるのはミニカーや戦隊もののフィギュアなど、お兄ちゃんと一緒になって外で遊びまわっていたなぁ。
木登りも近所の子たちの中で一番だった。おてんば娘だった。

幼稚園にあがる年頃になって、お兄ちゃんが午前中家に居ない状態になると、今思えば、かなり戸惑っていたと思う。当時は気付いてあげられなかった。
いつもなんだけど、そのうち慣れるだろうぐらいにしか考えてなかった。
次の年に妹も同じ幼稚園に通うことになった。
それはそれは、喜んでいた。
お兄ちゃんといっしょの幼稚園に行ける!
どんなにか楽しみにしていたかを思うと切なくなる。

それが、だんだんと元気がなくなり、幼稚園に行くことをいやがるようになった。
訳を聞くと、「お兄ちゃんと遊べないんだもん」
その時も、そのうちに慣れるだろうと、聞き流してしまった。
「家に帰ってからたくさん遊べるでしょ」

本人にとってはお兄ちゃんと遊べないなら、家で遊んだ方がましだったのに。
幼稚園は行かなければならないところだと、思い込んでいたのかもしれない。
がまんして、がまんして通っていたのだろう。

そういえば、家に帰ってきてからの午後の時間はお兄ちゃんの幼稚園の友達が毎日遊びに来ていたっけ。
男の子と遊ぶのは慣れていたからいっしょに混じってけっこう楽しそうに遊んでいると思っていたけど・・・。
午前中も午後もお兄ちゃんと遊べない・・・。

さらに、幼稚園では男の子と女の子がはっきりと分けられてしまう。
制服も体操服も遊具も色分けされている。
何か一つでもお兄ちゃんとおんなじものがあったら、もすこし楽しかったかもしれないと今頃思うけど。
当時はまったく気にかけてやれなかった。


言い訳になるけど、その頃は、下に妹(けいこさん)、弟(けんくん)と生まれていて、お兄ちゃんよりしっかり者に見えてた長女(さきちゃん)の寂しさにかまっている時間が無かった。
おとーさんは、仕事仕事で、夕飯の時だけしか家にいなかった。
職場が近いというか職場の中に宿舎があるという状況だったので、夕飯がすむと、小さい子たちをお風呂に入れてから(これだけでも、とても助かるから、おとーさんも時間のない中で目いっぱい子どもたちの世話をしてくれていたんだなぁ)、また職場に戻る。何時に帰ってきているのか分らない、そんな生活だった。


そのうち、幼稚園の先生にも「他の子と遊ぼうとしない」「いつも部屋の隅で本を読んでばかりいる」暗い子、良くない子という評価をされる。仲良く元気に外で遊ぶ子が良い子、望ましい子なんだそうだ。
そうこうするうちに、いじめが起きだした。
背中にいっぱい傷を負って帰ってくる。
どうしたの?と聞いても答えない。
幼稚園の先生に問い合わせると、男の子にひっかかれたみたいです。本人同士で仲直りの握手をさせて解決しました。という話だった。
この時点で幼稚園をやめておけばよかったと、後で何度も悔やんだ。


5番目に女の子(あさちゃん)が生まれて、子供の世話と家事で疲れ切ってしまった私は、3番目の子、次女けいこさんに幼稚園をやめて家の事を手伝ってとお願いした。
お兄ちゃん、お姉ちゃんは小学生になっていたので、午前中の家事手伝いは無理だったのだ。
これも、今考えるとひどい親だよね。
次女は幼稚園生活が楽しくて仕方がないという感じの子だった。
それなのに、家庭の事情でやめさせたんだから。

それでも、喜んですぐ下の弟のけんくん(この子も幼稚園を途中でやめた)といっしょに、生まれたばかりの赤ん坊の面倒をよく見てくれた。
けんくんのほうは、やはり幼稚園でのいじめが原因だった。
そうそう、プールの時、着替えをする時にパンツを脱がされてからかわれるのが嫌だから絶対に行かないと言ったのだった。

あの時、長男と長女が「幼稚園に行かなくていいのなら、行きたくなかった」と初めて気持ちを訴えてきたのだった。
「ごめんね。行かなくてもいいところなんだよって、一度も言わなかったね。ほんとにごめん」
謝ってもすまないけど、謝るしかなかった。


幼稚園で受けた先生からの思いっきりのマイナス評価と友達からの暴力、当時は軽く考えていた。
もっと、こどもの心はどんなだったんだろうと思いやって考えていたら、子どもにとって楽しい幸せな時間がうんと増えていただろうに。
親の都合だけで幼稚園に無理やり通わせて、心を傷つけて、取り返しはできないけど、やり直して少しでも傷を癒してあげれたらいいのだけれどと思う。
長女の希望には何でも答えるつもりでいるけれど自分の望みを言わない子になってしまった。
決して子どもの成長しようとする力に制限を加えてはいけない。
親には、伸びることを邪魔しないでいることくらいしかできないんだなとつくづく思い知らされた。


今はそう反省しているけど、当時は幼稚園に対しては「やめる」という判断ができたのにもかかわらず、学校という場になった時、またもや同じ過ちを犯してしまったダメダメな親です。



小学校~中学校についてはまた書くことにする。
これ、続くのかしら?自信ないけど、思い出し思い出し書いていこう。


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