ソ連はエジプトが有利なうちに停戦をしようとアメリカをつうじてもちかけたが、勝利を確信していたサダトはこの停戦調停を拒否した。

アメリカから大量の兵器がイスラエルに輸送され、イスラエルの猛反撃がはじまった。
(ブログ主による補足説明)
第4次中東戦争の緒戦について、一般的に言われている話はおおむね以下のとおり。
・サダトは領土問題の調停をさいしょソ連ではなくアメリカに依頼した。キッシンジャーは「勝者の分け前を要求してはならない」としてこれをこばんだ。
・「ヨムキプール」とよばれるイスラエルの祝祭日にエジプトとシリアが同時に侵攻を開始し、かんぜんな奇襲となった。
・イスラエル陸軍は第2次および第3次中東戦争の教訓をもとに戦車中心の編成をしていたため、対戦車ミサイルの恰好のえじきとなった。もう50年前に戦車無敵の神話はくずれていたのである。
・エジプト軍はスエズ運河をこえて12キロの地点、対空ミサイルの射程範囲内で進軍を停止した。これは当初の予定どおりの行動である。
・サダトはエジプト軍がまともに戦ってイスラエルに勝てないことを理解していた。
・サダトは侵攻開始の翌日、10月7日にはキッシンジャーに停戦調停を依頼していた。その条件には「イスラエルは第3次中東戦争以前のラインへ撤退すること」「その撤退後、エジプトとイスラエルの戦争は完全に終結すること」などがふくまれていた。
・エジプト軍の進軍停止をしったイスラエルは兵力をすべてゴラン高原へむけ、シリアへの反撃を開始した。アサドはこれを「エジプトの裏切り行為である」としてソ連にうったえた。
・ソ連首相コスイギンがカイロにおりたって直接サダトを説得。エジプト軍はふたたび進軍を開始せざるをえなかった。
・もちろんサダトはイスラエルが核兵器を所持していることを知っている。
(参考文献:さぶかるカオスTV「エジプトの逆襲 第4次中東戦争」)
https://youtu.be/o2SFMpoeYk0