メイトランド艦長との第2回会談は、4日後に再開された(7月14日午前4時)。艦長はホーサム提督からの指示が未着であると欺いたうえで、後日まで問題視される発言を試みた。
「イギリス政府が皇帝のアメリカ渡航を認めるとは思わないが、しかし小官としては自己の責任において本艦上に迎え、イギリスに送ることができないわけではない。だが皇帝がこの案を容れるとしてイギリスでいかなる待遇を受けるかについては、どのような約束もできない。この申し出そのものが政府の承認を得ておらず、全くの個人的な責任でしているのだから」
確かにこれは考え抜いた言い廻しであり、ナポレオンに対するイギリスの冷厳な姿勢をかくしながら、当人の身柄の抑留をねらったものである。
戻ってきたラスカーズの報告をきいたところで、皇帝は随員一同の意見を徴した。ラスカーズ、グールゴーはじめ大勢は相手の「誠実な申し出」を受諾すべきだと述べ立てた。皇帝はついに決断をくだす。
ナポレオン「私は休息のみを求めており、イギリスでそれが与えられるなら受諾してもよい。私は摂政殿下を知らないが、その人柄は信頼すべきものと思う。殿下宛に書簡をしたため、明朝夜明けとともにイギリス艦に赴くとしよう」