TOY VOX

管理人VOX6336が昭和レトロな遊びをするだけのブログです。スマートフォンでの閲覧推奨。

第一次世界大戦 7

2023-03-12 19:44:15 |  WWIとその周辺
ルール確認のため、このままオーストリアを中心にプレイを進めてみよう。自作シナリオ「バルカン戦線異常なし」。



「ハプスブル帝国参謀総長コンラート・フォン・ヘッツェンドルフのはっきりとした希望は、やっかいなセルビアと最終的に決着をつけることであった。しかし、彼は、ガリツィア国境でロシア軍4個軍と対峙していた。」

「彼の戦いは、セルビア戦とロシア戦の両方で最悪の結果になった。彼のセルビアへの攻撃は、準備不足で失敗に終わってしまった。セルビア人は、3万人の犠牲を出しながらハプスブルク帝国軍を国境の向こうに押し返した強靭な戦士たちであった。」

「北方でのコンラートのロシア領ポーランドへの攻撃は、ハプスブルク帝国軍右翼へのロシア軍の脅威によって、カルパチア山脈まで後退を余儀なくされ、重要なプシェミスル要塞を残して撤退し、さらに35万人を失った。」
(マイケル・ハワード『第一次世界大戦』より抜粋)

オーストリア軍第1攻撃フェイズ。ヘクス1123要塞への攻撃は戦力差±0、1d6=6で4/0。

ロシア軍第2攻撃フェイズ。ヘクス1817要塞への攻撃は戦力差±0、1d6=5で2/1。ヘクス2020への攻撃は戦力差+2、1d6=5で3/1。

オーストリア軍第2攻撃フェイズ。ヘクス1123要塞への攻撃は戦力差±0、1d6=4で2/1。オーストリア軍はベオグラードを制圧した。

ロシア軍第3攻撃フェイズ。ヘクス1817要塞への攻撃は戦力差±0、1d6=3で2/2。ヘクス2020への攻撃は戦力差+2、1d6=1で1/3。

この時点でCRPはオーストリア4、ロシア19、セルビア0。









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第一次世界大戦 6

2023-03-12 18:27:47 |  WWIとその周辺
ロシアはどのような経緯で参戦にいたったのだろうか。
「ロシアにとってセルビアを見捨てることは、パン・スラヴ主義への裏切りになり、20世紀初頭からバルカン半島で獲得してきたあらゆるものを失うことになろう。」

「7月30日、ロシア皇帝ニコライ2世はひどく躊躇しながらロシア全軍に動員令を出した。一般的には、動員が必然的に進軍、つまり隣国への侵攻のための部隊配置をもたらし、またそのような配置は戦争への避けられない状況をもたらすと考えられていた。
(マイケル・ハワード『第一次世界大戦』より抜粋)


第1ターン(1914年夏期)。ガリツィア地方に展開したロシア軍の戦力は4個軍集団である。
ルール[14.2]により連合軍移動フェイズ、同盟軍移動フェイズは無い。
優勢側プレイヤーは連合軍。CRPはオーストリア20、ロシア30、セルビア0。



ロシア軍第1攻撃フェイズ。ヘクス1817要塞への攻撃は戦力差±0、1d6=4で2/1。ヘクス2020への攻撃は戦力差+2、1d6=1で1/3。



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第一次世界大戦 5

2023-03-12 07:46:31 |  WWIとその周辺
つぎに戦争直前までのロシアの状況を見てみよう。

「ロシアには、資本主義と工業化が遅れてやってきた。それも主として、外国資本(引用者註:主にフランスの資本)と外国の専門知識がもたらしたものであった。」

「農奴制はクリミア戦争のあとに廃止され、ある種の代議制が1905年の敗北と革命に近い動乱のあとに導入された。鉄道の発展は1890年代に工業生産を大いに加速させた。」



「19世紀末、ロシア政府の関心はアジアでの勢力拡大にあった。しかし、1905年の日露戦争の敗北後、東南ヨーロッパにその矛先を変えた。その地は、依然としてオスマン帝国によって支配され続けていた。東南ヨーロッパでのナショナルな抵抗運動は、元来は、オスマン帝国領内のギリシア、セルビア、ブルガリアの各地域における正教会共同体を基礎としており、まずはキリスト教の同胞として、つぎにスラヴの同胞としてロシアを後援者と伝統的に見ていた。」

(マイケル・ハワード『第一次世界大戦』より抜粋)

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第一次世界大戦 4

2023-03-12 02:14:21 |  WWIとその周辺
オーストリア政府はサラエヴォ事件の関係者をつぎつぎと逮捕。仮にそれが未成年者であっても大逆罪を摘要し、死罪の判決がくだされた。さらにオーストリアはセルビアに対して事件の関係者を差し出すように要求する。


「ハプスブルク帝国はついに自国の敵であるセルビアを完膚なきまでたたきのめす決意をした。セルビアに対して、もし受諾すれば事実上帝国の衛星国になってしまう内容の最後通牒を手交した。」

「セルビアは最後通牒を頑として拒否した。そして、ハプスブルク帝国は 7月28日に宣戦布告した。

(マイケル・ハワード『第一次世界大戦』より抜粋)



1914年夏ターンのバルカン前線。セルビアの2個軍集団はそれぞれ防御力5であるため、オーストリア軍から攻撃を受けることは無い。


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