そこでプロイセン軍司令部は、全軍を集結させることを危険と判断し、ブラウンシュヴァイク公に転進を命じた。
「この不幸な合戦の報に接し、国王はブランケンハインの位置に軍隊を集結させることは、もはや危険であると考えられました。なぜなら、全軍が到達するまでに、敵に攻撃されることを恐れねばならなかったからです。」
「そこでブラウンシュヴァイク公軍を、1806年10月11日、かつての宿営地であるヴァイマールに転進させることが決まりました。ホーエンローエ侯軍は、この日にはヴァイマールとイエナの中間にあるカペレンドルフにいました。またリュッヘル将軍はヴァイマールとエルフルトの中間に位置しました。」