6月になると「聖戦士」マウルヴィー・アフマドゥッラーが臨時政権に合流した。裁判記録より、反乱に参加した軍医の供述。

(「マウルヴィー」ユニットの数値は、火力3、モラル8)
「彼はチンハットの戦いを指揮した。それから続いて起こったラクナウ駐在官邸包囲の指揮もしばらくの間とっていた。彼は勇敢で聖者的性格を持っていたので、反乱者の間では非常に人気があった。そのため、しばらくすると王妃は、彼の卓絶した勢力が彼女の権力にとって危険ではないかと恐れはじめた。そこで王妃はマウルヴィーの勢力を滅ぼす一隊を組織して、公然と武力攻撃の手段をとるに至った。彼はそこで市を離れ、郊外に居を定めた」

(「マウルヴィー」ユニットの数値は、火力3、モラル8)
こうして臨時政権内に分裂が起こる。
「反乱軍はマウルヴィーとマムー・ハーンやシャラフッダウラとの間に抗争が起こるとすぐ分裂してしまった。多数は後の2人に加わり、マウルヴィーの下には少数が残った。」
(参考文献:長崎暢子『インド大反乱1857年』)
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