アサヒビール山荘美術館に、突然思い立って友人と二人で行ってきた。
常設作品も好かったが、なんといってもモネ作品、特に睡蓮の連作が圧巻だった。
それにも増して山荘そのものが素晴らしい空間で 本当に癒された。
木の重みが全てを包み込むようで、実に美しい空気を醸し出す山荘だった。
<鯉の泳ぐ和洋折衷のお庭と、美術館外に立っている不思議な兎>
じっくりゆったり過ごしたにもかかわらず、思いの外早く京都に戻れたので、東山の河井寛次郎記念館にも行って来た。
友人は「亡くなった主人も連れてきてあげたかった」と沁々喜んでくれた。
私は記念館は二回目だったが、やはり日本家屋はとても落ち着く。
素晴らしい作品群と癒しの空間だった。
洋の東西の巨匠たちが最後に魅せたのは、道半ばの未完成さだったように感じた。
そのことが、胸を打った。
完成も満足もないのだと、改めて教えられた。
その四日後の土曜日には岐阜県可児市創造文化センターで、文学座の『越前竹人形』を観た。
演出が前に出過ぎて人間不在に感じたのは、私が今そのことに敏感になり過ぎているせいかも知れない。
俳優たちの善戦健闘がいじらしく思えた。
芝居って、芸術って、何なんだろう。
そんなことを考えさせられた、二日間のプチ旅行だった。
常設作品も好かったが、なんといってもモネ作品、特に睡蓮の連作が圧巻だった。
それにも増して山荘そのものが素晴らしい空間で 本当に癒された。
木の重みが全てを包み込むようで、実に美しい空気を醸し出す山荘だった。
<鯉の泳ぐ和洋折衷のお庭と、美術館外に立っている不思議な兎>
じっくりゆったり過ごしたにもかかわらず、思いの外早く京都に戻れたので、東山の河井寛次郎記念館にも行って来た。
友人は「亡くなった主人も連れてきてあげたかった」と沁々喜んでくれた。
私は記念館は二回目だったが、やはり日本家屋はとても落ち着く。
素晴らしい作品群と癒しの空間だった。
洋の東西の巨匠たちが最後に魅せたのは、道半ばの未完成さだったように感じた。
そのことが、胸を打った。
完成も満足もないのだと、改めて教えられた。
その四日後の土曜日には岐阜県可児市創造文化センターで、文学座の『越前竹人形』を観た。
演出が前に出過ぎて人間不在に感じたのは、私が今そのことに敏感になり過ぎているせいかも知れない。
俳優たちの善戦健闘がいじらしく思えた。
芝居って、芸術って、何なんだろう。
そんなことを考えさせられた、二日間のプチ旅行だった。
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