【「愛」と云ふ言葉に就いて】
長澤まさみさんのインタヴュー記事(下にリンクあり)を讀んで、「愛」と云ふ言葉に就いて、少し許り考へました。先にレヴューした映畫「四月になれば彼女は」も戀愛や愛がThemeです。
西洋の作家だつたでせうか、國家と他國の友人とで、何方かを擇ばねばならないばあひ、自分は迷ふ事なく友情を擇ぶと發言した人がゐました。それと似たやうな問ひかも知れませんが、國家の大事と最愛の女と何方を擇ぶかと云ふのは、決して究極の選擇なんぞではなく、迷ひなく後者を擇ぶのが男である、と云ふ事を私は考へました。割と私、素面ですよ。
然し、之は福田恆存さんの受賣りですが、「愛」と云ふ言葉程、日本人に合はない言葉もないですね。「惚れた」女ならば、大和言葉ですから、實感が伴ひますが。
後、日本人に於ける男女を問はない傳統と云へば、性愛でせうね。最近、讀んでゐる白石一文さんは、その傳統を受繼いでゐる作家でせう。
「愛」と云ふ言葉は、之は福田さんが云つてゐるやうに、日本國に於ては明治維新以降に定著した從來の日本語とは異なる新しい漢語なり言葉なりです。同じやうな言葉には、哲學、宗教、鐵道、郵便抔、枚擧に暇がありません。「愛」だの「愛する」だのと云つて見た處で、それがどう云ふ事か私達は具體的に語る事が出來ません。上述しましたやうに「惚れる」ですとか「好きになる」ですとかだと、從來の日本語である爲、私達には具體性が伴ひます。「愛」ですとか「愛する」ですとかはLoveがもとでせうが、それは以前、「仁」と譯されてゐた事があるさうです。成程、そのはうがLoveには近いと思ふのは私だけでせうか。
長澤まさみさんのインタヴュー記事(下にリンクあり)を讀んで、「愛」と云ふ言葉に就いて、少し許り考へました。先にレヴューした映畫「四月になれば彼女は」も戀愛や愛がThemeです。
西洋の作家だつたでせうか、國家と他國の友人とで、何方かを擇ばねばならないばあひ、自分は迷ふ事なく友情を擇ぶと發言した人がゐました。それと似たやうな問ひかも知れませんが、國家の大事と最愛の女と何方を擇ぶかと云ふのは、決して究極の選擇なんぞではなく、迷ひなく後者を擇ぶのが男である、と云ふ事を私は考へました。割と私、素面ですよ。
然し、之は福田恆存さんの受賣りですが、「愛」と云ふ言葉程、日本人に合はない言葉もないですね。「惚れた」女ならば、大和言葉ですから、實感が伴ひますが。
後、日本人に於ける男女を問はない傳統と云へば、性愛でせうね。最近、讀んでゐる白石一文さんは、その傳統を受繼いでゐる作家でせう。
「愛」と云ふ言葉は、之は福田さんが云つてゐるやうに、日本國に於ては明治維新以降に定著した從來の日本語とは異なる新しい漢語なり言葉なりです。同じやうな言葉には、哲學、宗教、鐵道、郵便抔、枚擧に暇がありません。「愛」だの「愛する」だのと云つて見た處で、それがどう云ふ事か私達は具體的に語る事が出來ません。上述しましたやうに「惚れる」ですとか「好きになる」ですとかだと、從來の日本語である爲、私達には具體性が伴ひます。「愛」ですとか「愛する」ですとかはLoveがもとでせうが、それは以前、「仁」と譯されてゐた事があるさうです。成程、そのはうがLoveには近いと思ふのは私だけでせうか。