
迷彩作業も最後の艦橋部分に到達です。
サラトガの迷彩は1944年9月から1945年1月までのかなり短い期間にだけ施されていたようで「短いなー」と思っていました。
更に、資料などを読み込んで行くと、タミヤさんのキットの状態で、ネイビー一色の塗装の期間は更に短くて、1945年1月から2月までで更に短い事がわかりました。
1945年2月21日に硫黄島攻略作戦中の戦闘で被害を受け3月16日にピュージェットサウンドの海軍工廠へ戻っています。
1945年5月に修理を終えたときには、前部エレベーターの形状が変わって、後部エレベーターは廃止になり、練習空母になりました。
タミヤさんも「サラトガ」のキットの設定年次を考えたときに悩んだ事でしょう。
派手な、メジャー32/11Aの塗装例で発売していたら、塗装のハードルが高すぎて、購入に消費者がちゅうちょするかも?とも考えたかもしれませんね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます