不倒翁(ふとうおう)

澄心書道教室 作品創作活動 学習中文 アクセサリー製作に奮闘中

家族旅行編、最終回

2013-08-31 15:59:02 | 旅行
伊勢、高野山を巡る旅の最終日は、大阪にでて、 新幹線で帰路に着いた。

 新幹線は、ご存知の通り3人がけと2人がけの椅子の組み合わせだ。

旅行会社からは、横一列で(3人と1人)座るように指示が出ていたので、予め主人と二人掛けの窓側に男性が座ったら主人、女性が座ったら私、と決めていたのだ。

出発直前、二人掛けの窓側に座ったのは、プラダとグッチのバックを持った品の良さそうなご婦人だった。

決めてあったとおり、私がその後婦人の隣に座ったのだけれど、この事がこの旅行の最大の思い出に残る出会いだった。

婦人「どちらへ?  ご旅行?」
私 「はい、高野山へ・・・」
婦人「あら、高野山には私のお婆様の喉仏が埋葬してあるのよ。」
私 「何ですと~! 高野山の檀家さんですか? どんな高貴なお方じゃ!」(心の中で叫ぶ・・)

その後、好奇心の塊になった私の質問攻めで大阪~品川間の3時間ずっと会話が弾んだ。

楽しかった。本当に楽しい時間でした。

高野山で大企業の大きな墓石を目の当たりにしてビックリはしたけれど、初対面でお会いした方のお目に掛かっていないお婆様のそれを想像する事で、こんなに興奮するなんて!!

このご婦人のお婆様は、八重の桜の八重さんが、50代の頃、日露戦争で看護婦として活躍された時に共に活躍された看護婦(当時20代)だったそうです。
その功績を称え、高野山に女子として初めて高野山に埋葬されたそうです。

お名前は伺っていません・・お住まいも解りません。この出会いは、きっと高野山のお導き・・。

埼玉から10月のお孫さん誕生と健やかなご成長をお祈りしております。





夏休み JA書道コンクール 錬成会風景①

2013-08-21 17:14:04 | 書道教室
空海の話はチョッとお休み。

旅行から帰り、息つく暇も無く夏休み JA書道コンクール 錬成会の指導ダ。

8月上旬はダメだな。 学校のプールが有るから参加人数が少ない。

8月上旬は私と生徒1対1という日が二日もあった。

何と、子供からすれば、ハードな息詰まる練習だこと・・・
自称、習字の松岡修三こと私、大塚澄心と1時間30分も一緒にいるなんて・・・・(何ちゃって・・・)

半切の下敷きは、沢~山有るから、それに場所も100畳の部屋【詳細はこちら・・】だし、どーんと来い!と構えていたら、一度に25人練習に来て、お盆明けは大変だった・・・。

それでも書きなれてくる2回目以降は(4回参加してね)、笑う余裕も出てきましたね。
余裕も出てきたところで、会場風景を1枚。




空海 行書③風信帖

2013-08-18 15:55:15 | 書道教室
 日本書道史のうえで特に優れた書人に嵯峨天皇、空海、橘逸勢たちばなのはやなり三人をあげて三筆と呼んでいます。
 1678年刊行の貝原益軒の和漢名数かららしく江戸時代になってから呼ばれたようです。
 また入木道書道のことを言います。王羲之の筆力が強い為に木に書いた字が滲みこむこと三分にも及んだという伝説の古い伝承では空海、菅原道真、小野道風を三聖といっていたようです。
 三筆にしろ三聖にしろ最も傑出しているのが空海です。

風信帖は、空海が最澄に送った手紙3通を集めて1巻としたもので最初の手紙の冒頭に「風信雲書」とあることから風信帖とよんでいます。
 空海の書蹟は多くが伝えられていますが、最高の書と言われています。
 空海と最澄は平安時代の初期に同時期に遣唐使として入唐しています。
 空海が最澄よりも1年1ヶ月遅く帰国し、その時に持ち帰った経典の借用を最澄が弟子の経珍を介して願い出ています。
 811年11月に金剛界灌頂を12月には胎蔵界灌頂を空海から受け、812年にも同じ願いを繰り返しています。
 「風」「雲」「天」は王羲之の集王聖教序とくらべても同一書法であることもうかがえますが、全体では、入唐時長安を中心に書かれていた、顔真卿の影響も強く感じられます。
                
                墨光書道院NO425 25年 4月号より

空海 行書②聾瞽指帰(ろうこしき)(ろうごしいき)

2013-08-17 15:45:05 | 書道教室
 空海は現在の香川県に生まれました。
 父は、佐伯直田公で、朝廷から蝦夷征伐を命じられた地方長官でした。
 母の実家は、阿刀氏で、伯父にあたる阿刀大足は讃岐の人ですが、その学才は天下に響いていたといわれています。
 大足は桓武天皇の皇子伊豫新王の家庭教師をしていました。
 空海はこの伯父にあたる阿刀大足に学問を学びました。
 自ら15歳の時に伯父について、論語、孝経及び史伝を兼ねて文学を学んだといっています。
 18歳で都の奈良にのぼり、日本で唯一の国立大学に入学しました。
 大学在学中、語学を学んだ為、後に遣唐使の一員として入唐するとき、中国の教養人を驚かすほどの文章と会話の能力を身につけました。

聾瞽指帰(ろうこしき)(ろうごしいき)・・・
 空海の処女作、入唐前、王羲之の雄健な書風を学んだ形跡が一字一字にみられ、覇気のあふれた若々しい筆力で少壮気鋭の書です。
首尾の題字をふくめ合計833行、上下2巻で、縦28.3センチ、全長21.87メートルの長巻です。

              墨光書道NO424 25年3月号より