植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

再び『死んだらおしまい、ではなかった』から

2010年09月19日 22時33分14秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
冒頭の書籍中でまとめとしてあるところ。
→はそれについての私見を述べています。

☆私たちが死ぬということは、この身体と「本人」(俗に魂ともいう)とが分かれる状態をいう。

☆通夜、葬儀になれば、祭壇が設けられて多くの縁者が集まってくる。僧侶が招かれて読経が始まる。これらの様子を「本人」はそばでじっと見ている。
「本人」にはすべて聞こえているし、見えている。

→そう聞いています。だから本人が目の前にいるつもりで語りかけています。長い闘病の方だったら「お疲れさまでした」とか。むこうからの返事は僕にはわからないけれども、こちらからの念は必ず届いていると思っているので。

☆「本人」はじっと見ているが、自分自身が死んだということに気付いていない場合がある。だから、「自分は死んだ」ということに気付かせる必要がある。自分の死に気がつかないと長期間にわたってこの世にとどまり続けることもある。

☆お通夜、お葬式、年忌法要などの儀式は、「本人」に「あなたは亡くなった」ということを、繰り返し繰り返し教えるためにある。

☆僧侶にお経を読んでもらうこと、立派な戒名やお墓をたてることが供養のすべてではない。
 ほんとうの供養とは、故人がこの世にやり残したこと、未練が残っていることを、遺族ができるだけすみやかに取り除いて安心させてあげるところにある。

☆故人のことを思い出す時に、故人もこちらのことを思っている。故人を思い出す時に、故人はともにいる。<思い出す・偲ぶ>ということが故人に対するもっとも大切な供養になる。

☆故人を思い、そのうえで、心の中で「どうぞ成仏してください」「どうぞ安らかに浄土に往生してください」と念ずる。その心は必ず故人に通じる。

→ここはご住職が浄土宗の僧侶だから「浄土に~」となるのだろう。「あなたは亡くなったのですよ。どうぞ光の方に歩んでいってください」とお話ししても良いと思う。

☆大切なのは、「心からの祈り」であって決して形ではない。

☆故人に対して「こうしてあげれば喜んでもらえるんじゃないか、こうしたら安心してもらえるんじゃないか」ということなど、できることをひとつでも実行することが供養になる。

☆故人のやり残したことがあれば、代わりにしてあげる、またなにかお供えするにしても、故人が生前好きだったものを供えてあげる。
「安心していただこう」「喜んでいただこう」という心からの気持ちで、なにか気がついたら、ひとつでもいいから実行し続けていくことが、故人の供養につながっていく。

→その通りだと思う。
 ただし、四十九日を過ぎた故人の場合には、この世に執着を持ってもらうと困るので、酒とか嗜好品の類いはお供えしない方がよいと思う。
 酒好きの故人のために墓に酒をかけるとか、ワンカップ酒を墓前に手向けるのは、あの世で酒への執着を断ち切って浄化に努めている故人の努力に水を差すばかりか、足を引っ張ることになるだろうから。
コメント
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