『アナスタシア』の続編の表題の本から。
「プライベートな対話」
「肉身の病は、人間の感情が味わう苦痛に比べればとるに足らないものなのだ。肉身の病が生じるのは、自然からの離脱や、自らに許している暗い気持ちのせいばかりではないということに気がついた。もっと大きな苦痛に対して警告を発したり、その苦痛から救出するための仕組みとして働くこともある」
「病気は偉大なる知性ー神ーと人間の、コミュニケーションのひとつの手段、ひとつの仕組み。偉大なる知性ー神ーがその人に伝えようとしていることを、本人が理解できるように助けること、それが最も大切」
→そう。僕がやりたいのはそれなんだ。なにが病気にしているかを本人が捕まえること、理解することを促したい。そのために治療をしている。
「助けは必要。でもなにより、病気の根本的な原因についての正確な理解に基づいた助けじゃないといけない」
→その根本的な原因について理解をすることを追求している.
「人間の体に生じる病にはいくつかの主な理由がある。
たとえば、有害な気持ちや感情、不自然な食事の日課、食べるものの成分、長期および短期の目標の欠如、自分の本質と目的についての誤った考え」
→「有害な気持ちや感情」「不自然な食事の日課」「食べるものの成分」、これらについてはある程度気づいていた。「長期および短期の目標の欠如」、これは病気の原因になるのか!びっくりである。確かにがんを治す際に「病気を治すことよりも、治してから何をしたいのか?」が大切と患者さんに説いてきたけれども、目標の欠如自体が病気の理由になるとまでは考えていなかったなあ。
あとは「自分の本質と目的についての誤った考え」。そもそも自分の本質とか目的について確たるものを持っている人はあまりいないのではないか?でもそれが病が生じる原因になるというのだ。。。これもびっくりだ。でも直感でこれは納得できる。
「人はポジティブな気持ちといろいろな植物を用いて体の病に対抗できるし、同様に自分自身の本質と目的について再考することによって、自分の体と精神状態を変える多くのことをなしうる」
→患者さんに自分自身の本質と目的について再考を促す、そういうことが治療中にできるといいなあ。
「人は、自身のうちからポジティブな気持ちを呼び起こせていれば、その気持ちの助けによって、自分自身の痛みを和らげ、自分の体の病を治し、毒を無力にもできる。そういったものは、あなたの周りにいる人々が、心からの愛をもって接してくれるときに現れる」
→これは実際に体験したので分かる。かつて治療が劇的にうまくいったときがある。膵臓がんで痛みで苦悶して来院された初診の方が帰りは苦痛はまったく無くなり軽快な足取りでお帰りになった。あの時、僕は心からその患者さんの心に寄り添った。オイルで背中をさする手のひらに心を込めた。。。あの時は僕も至福感を味わったなあ。
でも「心からの愛をもって患者と接する」、それが毎回できないところが凡夫の苦悩するところだ。。
学ぶこと多い本「アナスタシア」続編のこの本は傍線で埋め尽くされつつある。
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