
春が近づいてきた。
ここ数カ月続いた腰痛や手足の動きの悪さに決着をつける時が近づいてきた。
一か月前から決心し可能な限り仕事を取りまとめ治療に専念するため会社を休職した。
休職によって迷惑をかける上司・部下・同僚が昨日、激励の宴をひらいてくれた。
顔では笑っていたが、申し訳なくて心では泣きたい思いだった。
今日は会社を休んだ第一日目。
一番最初にやるべきことは鎌倉に住む母を訪ねて、親不孝をお詫びして手術を受けることを報告することと考えていた。

しゃけ、しゃけ妻、しゃけ娘の3人で、しゃけ母、しゃけ大姉、しゃけ大義兄の住む鎌倉に向かった。
しゃけ大姉は志賀高原のしゃけ姉の姉である。(ああ、ややこしい

志賀高原のしゃけ姉夫妻は、スキーシーズンの真っ盛りで今日は会えない。(更にややこしい

つまりは、親不孝者のしゃけ1人のために、しゃけ族の集合となったのである。
最近、いろいろな人に励まされパワーをもらってるしゃけ君は、以前に比べて感謝する心が身に着いたのかもしれない。
その所為か、母には以前からのさまざまな不孝をストレートに詫びることが出来た。
素直に謝るしゃけが珍しかったのか、母は暫く立ったままプルプルしていたが、受け入れて座ってくれた。
しゃけの不孝の罪は、根源的に母には責任のない18歳以降に品なく育ってしまったことに深い原因があると思っている。
子供のころのしゃけの可愛さは母ゆづりで、負けん気はあるが、力の伴わないおとなしい子だったと姉達の話で推察できる。
姉たちは東京四谷の上〇大学の秀才だった。若い時は容姿も優れていて義兄達も姉たちもバイリンガルでしゃけは容姿も
お勉強も負けていて、大義兄は身長も高くゴルフはシングル、最近ふやけたとはいえちょっと前まで花の美男子でセンスも
抜群、そりゃあ母は素晴らしい婿が居て幸せなのだ。
どうやら、そんな環境にいたしゃけは今までしゃけ族にいなかったタイプの男に成りたかったのかもしれない。
それで、姉達のような上〇大学卒業とは違い、情痴大学卒業の様な人間になってしまったのかな?
いやいや、もちろん自分ひとりの責任であり、母は思い描いていた息子のイメージとしゃけ君のギャップに毎月毎年悩んで
いただろうと思うと心が痛む。長年の蓄積でもう本質は変わらないとは思うがせめて母の前だけでも品の良い子になろう。


母に症状の経緯をしらせて、運よく会社の先輩のおかげで脳神経外科のトップのセカンドオピニオンを聞く機会があり
B医大整形外科からD医大脳神経外科に医療機関を変更する方針を伝えた。
安心してくれたと思う。母の心から不安が減ってくれたらいいなと心から願っている。

大義兄が心の通じたところを見計らい『旨いものでも食べにに行こうよ?』と藤沢のお気に入りのレストランに誘ってくれた。

ラムのリブステーキのコースを選んだが、とてつもなく旨かった!


レストランから母のマンションに戻り、再び中に入ると別れがつらくなるので玄関前で別れた。
D医大は栃木県にある。母は『私は来れないと思う。』とさびしそうに言った。
大丈夫、必ず大姉夫婦が連れてきてくれるってば・・・

マンションのごみ置き場でほとんど無傷の牛皮の鞄を拾った。朝からあって忘れものではなく捨ててあり
中身は空で鍵まで有って完璧なので貰ってきた。
一体どうしたことだろう?
神様だか仏様が、『早く仕事に戻れよ・・・』と励ましのプレゼントをしてくれたと思うことにしました。

写真を見てくださってありがとうございます。

今後ともよろしくお願いいたします。




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