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七夕は中国・日本・韓国をはじめ東南アジア各国でも行われている。中国語で 乞巧節 (チーチァオ チエ)といい、女の子が針仕事の上達を願う日だ。離れ離れにされてしまった牽牛(彦星/鷲座のアルタイル)と織女(織姫/琴座のヴェガ)が、年に一度、天の川を渡って逢瀬をする日で、情人節(チンズンチエ)ともいわれる。七夕の物語は中国の後漢のころ(1~3世紀)に作られ、日本に伝わったのは奈良時代で、持統天皇の5年(691年)に宮廷で七夕の宴が催されたのが、七夕まつりの始まりと言われている。![]() |
織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者、彦星(牽牛星)もまた働き者で、天帝は二人の結婚を認め、めでたく夫婦となったが夫婦生活が楽しく、二人は働かなくなったため、天帝は怒り、2人を天の川を隔てて引き離したが、年に1度、7月7日だけ会うことを許した。しかしこの日に雨が降ると天の川の水かさが増し、二人は会うことができない。その時は、二人を哀れんで無数の喜鹊 (カササギ)がやってきて、天の川に自分の体で橋を架けてくれるという。この日に降る雨は催涙雨(洒涙雨・さいるいう)といい、織姫と彦星が流す涙といわれる。![]() |
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七夕説話は 長い歴史の中で 中国各地の民話として さまざまな形に変化し、地方劇で上演され、戯曲の題材となった。有名なものに京劇などで演じられる 天河配 がある。…牛飼いの牛郎は水浴びをしていた天女の一人・織女の衣を盗んで夫婦となるが、やがて織女は天界に帰り、牛郎は織女を追って天界に昇る。しかし織女の母・西王母によって天の川の東西に引き裂かれたという。![]() ![]() ![]() (Wikipediaより) |
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テレビで、荒神谷遺跡にある2000年前の古代ハスが紹介されていた。以前から古代ハスを見たいと思っていたのだが、いつも時期を逃してしまっていた。今年は、時期を逃さぬように、早速、義父母を連れて出かけた。駐車場はどこもいっぱいで、かなり遠い所に駐車せざるを得なかった。ひざが悪くて、歩行困難の義母も、気の毒に遠くまで歩かざるを得なかった。花畑までは、かなり歩かなければならなかったが、美しく咲き誇る花たちは、疲れをすっかり忘れさせてくれた。![]() |
ハスの花畑では、本格的に機材を持ち込んでいる人、携帯を使うものなど、ほとんど全員がカメラマンになっていた。テントが何張も立っていて、お弁当、飲み物、おやつ、アイスクリーム、野菜、鉢植えの花などの出店がいっぱいだった。荒神谷博物館の中では大画面のモニターを使い、荒神谷遺跡の発掘や展示の歴史、斐川町を中心とした、のどかで美しい風景も映像で見ることができた。(*^_^*) | < |
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