こんばんは。
要は、バランスなのだ、ということなのだろう。
夫と息子のことを話していた。
私自身が息子に与えた影響、果たして、どう作用しているのか。
私は自分で言うのもなんだが、我慢強いほうだと思う。夫に言わせると、勉強好き。よく働きながら勉強できるねって言うけど、そもそも、通信大学への入学は夫が勧めてくれたことがきっかけだったし、勉強しているとき、支えてくれていたのも夫である。だから頑張れたのだと思ってる。
今息子は楽しそうに大学へ通っている。バイトのことも楽し気に話してくれる。
息子自身が持っている資質は、私たちからはつかみどころがないようにも思う。生まれたばかりの時爆睡した母(何を隠そう、この私だ!)に怒ったのか、泣き声は耳をつんざくかと思う大声で、とこに預けて買い物に出て大急ぎで戻ろうとしたら、2ブロック手前のあたりから泣き声が聞こえ、帰りたくなくなったものだ。幼児期には、呼んでも振り向かない子だった。とても心配になった。生後2~3か月で耳たぶを触る癖が発現し、私は息子にずっと耳たぶを触られ続けた。さすがに中学生ともなるとそんなことはしなくなったが。高校を卒業するまでサッカーのクラブチームやガチで大会への出場を目指すようなサッカー部に所属しようとした執着心はなんなのか。もちろん、親としては飽きっぽいよりかは好ましく思うけれども。
探求心があるかというとそうでもないように見える。でも本人は進学にあたり、「研究とか、したい」といってた。「とか」ってなんだよと突っ込みたいが。
私が勉強したかったのは、学ぶこと、考えることは「好き」だからなのだが、息子の勉強へ向かう様子を見ていると、彼の場合は、「きれいに書く」ことが「好き」なのじゃなかろうかと思う。国語は苦手科目で、文学より理論や証明が好きなのだろう。
私は大学の勉強以外に、出会ったばかりの人たちと話すのが楽しくて、コーチングの会にもよく出かけた。自分が話す時に、聴いてもらうことで自分の中が整理され、意外な発見をするから。それと、今思えば、会社の中で、いつか役に立つだろうと思ったから。でも、思い入れが強すぎてか、凝りすぎるのではなかろうか。
集中しすぎて周りが見えないでいるのかもしれない。もっと、肩の力を抜いて、とアドバイスされることが幾度かあった。先々月退職された営業所の人も「やりすぎる」と私にアドバイスをくれた。
息子は、旗から見ていると、「やりすぎ」てはいない。楽しそうだ。
適度に力が分散しているということかもしれない。私のことを傍の人が見て、きっと「辛そうだ」と思うからアドバイスをくれたのだろう。「とか」っていうのが、力の抜け加減を現しているようにも思う。
しかして、もし私が順調に高校から大学に進学していたら、こうはならなかったのかもね。
その時にできる「ベスト」な何かがあり、ただその時その時を一生懸命に、できることをするべきなのだろう。
要は、バランスなのだ、ということなのだろう。
夫と息子のことを話していた。
私自身が息子に与えた影響、果たして、どう作用しているのか。
私は自分で言うのもなんだが、我慢強いほうだと思う。夫に言わせると、勉強好き。よく働きながら勉強できるねって言うけど、そもそも、通信大学への入学は夫が勧めてくれたことがきっかけだったし、勉強しているとき、支えてくれていたのも夫である。だから頑張れたのだと思ってる。
今息子は楽しそうに大学へ通っている。バイトのことも楽し気に話してくれる。
息子自身が持っている資質は、私たちからはつかみどころがないようにも思う。生まれたばかりの時爆睡した母(何を隠そう、この私だ!)に怒ったのか、泣き声は耳をつんざくかと思う大声で、とこに預けて買い物に出て大急ぎで戻ろうとしたら、2ブロック手前のあたりから泣き声が聞こえ、帰りたくなくなったものだ。幼児期には、呼んでも振り向かない子だった。とても心配になった。生後2~3か月で耳たぶを触る癖が発現し、私は息子にずっと耳たぶを触られ続けた。さすがに中学生ともなるとそんなことはしなくなったが。高校を卒業するまでサッカーのクラブチームやガチで大会への出場を目指すようなサッカー部に所属しようとした執着心はなんなのか。もちろん、親としては飽きっぽいよりかは好ましく思うけれども。
探求心があるかというとそうでもないように見える。でも本人は進学にあたり、「研究とか、したい」といってた。「とか」ってなんだよと突っ込みたいが。
私が勉強したかったのは、学ぶこと、考えることは「好き」だからなのだが、息子の勉強へ向かう様子を見ていると、彼の場合は、「きれいに書く」ことが「好き」なのじゃなかろうかと思う。国語は苦手科目で、文学より理論や証明が好きなのだろう。
私は大学の勉強以外に、出会ったばかりの人たちと話すのが楽しくて、コーチングの会にもよく出かけた。自分が話す時に、聴いてもらうことで自分の中が整理され、意外な発見をするから。それと、今思えば、会社の中で、いつか役に立つだろうと思ったから。でも、思い入れが強すぎてか、凝りすぎるのではなかろうか。
集中しすぎて周りが見えないでいるのかもしれない。もっと、肩の力を抜いて、とアドバイスされることが幾度かあった。先々月退職された営業所の人も「やりすぎる」と私にアドバイスをくれた。
息子は、旗から見ていると、「やりすぎ」てはいない。楽しそうだ。
適度に力が分散しているということかもしれない。私のことを傍の人が見て、きっと「辛そうだ」と思うからアドバイスをくれたのだろう。「とか」っていうのが、力の抜け加減を現しているようにも思う。
しかして、もし私が順調に高校から大学に進学していたら、こうはならなかったのかもね。
その時にできる「ベスト」な何かがあり、ただその時その時を一生懸命に、できることをするべきなのだろう。
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