とこのへや

とこの雑貨と、とこのお洒落着。とこは樺太に住んでいたことがあります。とこの嫁の体験談、日記、備忘など。

本当に、本当の(1)

2019-05-02 20:59:53 | 日記

何をしようか10連休。。そんな、決まってる。
私は兎にも角にも、お姑さんのところへ行きたい。

ここのところ、お見舞いに行けていなかった。

私にとっては、今の会社の20数年のうち、これまで4連休が最長だったので、今回は四半世紀に一度の!ゴールデンウイークでの10連休なのだが、1月ごろには「だってまだどうなるかわかんないじゃん?(連休なんてもらえないよ~、きっと!)」の気持ち100%だった。

2月末ごろには、エライ人の一声で、交代で出勤が確定した。その時点で「ほらね~、きっと2日くらいとびとびで出勤だよ~」と思った。しかし、あろうことか、10連休のうち7日間に対して各日2~4名割り当てられた14名ほどの人選から漏れ、私自身は10連休確定となった。ほかの人の犠牲の上に私の「奇跡の」10連休がある。よくわかっている。

3月には10連休中に出勤する人が先に3月と4月に休みをもらうことに。

とはいえ、私は直前になっても、10連休?ほんとに?の気持ちだった。
結局4月26日金曜日に、終わらないのではないかと。
まぁ、はみ出す仕事量は、1日出れば足りるものではあろうが、26日に終わらない可能性は高い。
しかし、会社は「休み」となれば逆に勝手に無断で出勤されたら違反と認識するのだから。

26日、私が会社を出た時間は、夜中1時になろうという時だった。
もちろん、タクシーで帰ったし、回復には2日ほど要した。若くないものなぁ。(しかも結局、上司には事後報告で出社1時間することになる。)

さて、ぼんやりとテレビを眺め、令和の始まりを実感し、
ぼちぼちと病院のベッドで横たわったままの姑 とこ のことに思いを巡らせ、
新聞を持って行こうか、あの話をしようか、など準備をすすめた。

ちょうど、天気が良いだろうと5月3日か4日を当て込むことにした。
予定していたことと変わったのは、ひとつは、夫の想定では、とこの孫である息子も含め、3人で行くつもりだったこと。
もう一つ、5月に入って夫は体調をくずし、行けなくなり、それではと、前倒しで2日に行こうと思ったら、息子は寝不足らしく、起きてこなかった(あきれ)。

それで私一人で行くことになった。そして、二日続けていくことにした。

時間帯は、一日目はお昼前、11時過ぎごろに入ることにした。
一日目の様子を考えて、二日目はお昼を終えたころに訪れることにした。

とこの様子は、こうだ。
まず、私を見て、驚きというか、信じられないものを見た、といった表情を見せた。以前は「死んだって聞いてた」という反応だったので、まぁ、ましになったということだ。
久しぶりに訪れることとなったので、こちらはもともと「悪いなぁ、すまないなぁ」という後悔の気持ちでいっぱいだ。まずはごめんね、長らく来られなくてという謝罪からだ。

とこの目には「今更よく来られたわね」という色も見える。
それから、本当に小さい声で何かいう。以前はもう少し声を張って話してくれていた。
まるでどうでもいい呟きみたいだった。私は一層反省した。

とこが言うには、私たち夫婦は、もう「会っていない」ようだった。
「あなたたち、会ってるの?」
「一緒に住んでいるもの、毎日会ってるよ」
とこの反応は(うそばっかり)みたいな印象だった。

この病院に入院することとなった経緯からすると、とにかく急きょ手当てした結果だったのかもしれない。

おととし暮れからいつもと違う様子が見られてマンションで同居することにした。しかし妄想と思うが「罪を犯した」「悪いこといっぱいしている」「あなたたちももう、いられなくなる」と言い募り、夜中にコートも着ないで出て行ってしまう。夫は眠れなくなり、追い詰められ、正月明けから私鉄沿線で探したサービス付高齢者住宅(サ高住)に入所することとなったのだが、とこはそこでなじめなかった。
入所してちょうど2か月経ったころ、つまり昨年の3月初旬、ついに脱水症状からの高熱で救急搬送された。それが今の病院。

サ高住入所のための見学をしたときには「こんなにいいところに入れればねぇ」と言っていたのに。

サ高住で言っていたことは四つ。
①「ここの人たちはみんな私に早く出て行けと思っている」「私のことを汚いと言っている」「監視されている」②「このベッドは『ぎっ』ってなるからダメなの」③「ここのは水にも何か入れられているから飲めない」④「水は使えない、使っちゃダメ」

居室にあるトイレが使えず、ベッドも使えず、ペットボトルの水も飲めなかった。ささいな音、例えば空調の音も変だと感じられるようだった。
食堂で供される3食の食事も食べることができなかった。
食事については「2食でいい、そんなに要らないの」とはいうが、よく、食べたくない、と言ってた。

施設のスタッフから「お食べにならなくて」と何度か連絡をいただいていたが、①~④などの妄想もあり、私たちは絶句し、勧められたウイダーインのようなゼリーやアイスクリームなどの買い置きをし、食事を摂らない時に渡してもらうように頼んだ。

私たちが間違っているとしたら、新しい環境に慣れない高齢者への配慮を怠ったことなのかもしれない。
同じマンションで暮らすには、夫とその母との間での信頼感がなかった(と私は見た)から、急きょ、別居することが必要だったが、それは見知らぬ他人や見知らぬ場所に対してはより一層、信頼感や安心感は醸成されていないってことだ。見知らぬ人とすぐに友達になってしまうのが、私たちが良く知る姑とこであったのに。

食事をしなかったのは施設に入る前からだ。不眠もあった。(今は眠れている?様子。)

妄想、これがなければ夫も穏やかだったかもしれない。
暴れるといったことがなかったから、そういう点では幸いだったのだけれど、私がいつまでと目途の立たない長期休暇を取得する覚悟を決めなければ、同居は無理だった。私はその覚悟を持てなかった。甘えだと分かっているが、夫もそれはなるべく止めようと言ってくれていた。

様々な妄想、食欲のなさ、「私が悪いの」「みんなが私を嫌っているの」と思うって、どういうことなんだろ。
気が滅入っている、鬱状態ってことだろう。

本来なら、妄想または鬱の対応をしたかった。

しかし、昨年の初めにMRIの検査や専門医の診察で薬の処方を受けたが、本人が服用したがらず、その対応としては、やはり入院となってしまうのかもしれない。粉薬でなく、パッチに替えてもらったら自分ではがしているようだ、とのこと。サ高住での訪問医療もお願いし、要介護度1の認定を受けたので、服薬は介護保険の中で対応してくれることになっていた。これらが緊急搬送されたことで、まずは生命維持が最優先、妄想の対応は振り出しに戻った状態だ。(…今の病院では確かに老齢の方ばかり入院しているが、単なる高齢者という扱いになっている?)

救急搬送後入院の後、昨年の今頃は、本人を移動させられないこと、ほか夫に余裕がなかったこともある。とこが住んでいたアパートからは、退去を要請されていたからだ。私も繁忙期に会社休むことはためらわれたし、肝心な時に休暇が取れなくなることは金銭的に窮することになる。
しかしアパートは、とこが気に入っていた住居であり、タイミングによっては、とこが戻る場所やとこの荷物の保管場所がなくなってしまう。とこがこのまま戻れる状態にならなければ、必要なくなる場所でもあった。

本当に、本当の(2)に続く。

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