とこのへや

とこの雑貨と、とこのお洒落着。とこは樺太に住んでいたことがあります。とこの嫁の体験談、日記、備忘など。

淡々と過ごす

2017-09-02 11:59:03 | 日記

先日、女社長の乳がん告白日記を読んだ。

結婚していて、娘さんが2人いて、婚活サイトを運営する企業の社長ということだった。

私も出産の経験があるし、今、もしも、乳がんだと宣告されたら。
ま、もう使わない乳を全部摘出されても、しょうがないな。という気持ちになるかもしれない。死ぬよりましだ、と。

しかしこれが未婚の女性だったらどうだろう。まだあれもこれも未経験なのにという焦りと、もう授乳はできないとか出来ないことへの絶望でいっぱいになってしまうだろうか。

私の持論は、子育ての経験は素晴らしいものだけれども、他の経験で代替できるというものだ。母乳のほうがいいかもしれないけれど、母乳じゃなくったって育つし、自分の子なのに殺してしまう母親だっているんだから。

妊活なる言葉がうまれ、辛い想いをしながら高額の「治療費」を払って、その分野では著名な病院へ通われるご夫婦もあるだろうけれど、世に孤児が存在するなら、もしご縁があるなら、自分が産まなくったって子育てはできるのではないかと。
お金がうなるほどあるならそこにお金を払うことができようけれど、私はそんなに金持ちじゃないので、不妊だと言われても、治療法があると言われても、負担の重い金額を支払うことはないだろう。

職場でだって人を育てる機会はあるし、出産にこだわらずともいい。
出産は手術と同義であるように感じている。

別な視点でみると、身体の完全性、という点では、確かに、心に傷を負う理由となるかもしれない。
全摘後の傷跡をさらすのは、完全に痛くないとは言えない。旅先で大浴場に入る、プールに行ったら水着姿になる、そういうシーンでは意識せざるを得ないだろう。

しかも全摘出しても、再発するかもしれないという不安がつきまとう点については、不幸だ。

私は46才になって、息子も大きくなり、一人でもやっていかれるだろうと思うと、もうあまり未練を感じない。やりきったとも思っていないが、もうあなたは「がん」でおそらくもうすぐ死ぬ、と言われたら、さっぱりするかもしれないと想像する。

この想像するというところが、今の私には大切なことなのだ。

本当に「がん」を宣告されて、今、まさに手術を受けている人と、立場を代わるわけにいかないから。想像しかできないけれど、せめて。
心やすく、どうか強くしなやかに生きてほしい。


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