昨日 主人の実家の甥っ子が「ぶどう」を
送ってくれました。
主人の実家は 両親の代は「ぶどう」と「桃」の
果物農家でした。
7月初めに早生の桃から いろんな種類のぶどう
そして びわやソルダム 梨や柿など
果物は絶えることなく
母は いろいろと送ってくれていました。
あの頃は宅急便がなく 鉄道便で4・5日はかかって
いました。
箱を開けると崩れてるのもありましたが
両親の作る果物は 美味しくて楽しみでした。
両親が亡くなった後も
兄がサラリーマンだったので 義姉さんが一人で
作れるだけの「ぶどう」や「桃」を作っていました。
義母が亡くなった時に 義姉さんは
「私が一人で作るから お母さんが送ってたほど
送れないけど 私が元気な内は送ってあげるからね」
と言ってくれて
本当に毎年 桃だったり ぶどうだったり
元気な時は欠かさずに送ってくれました。
数年前には 事故でけがをして 自分で作れなくなった時には
ご近所で買ってまで送ってくれていました。
義姉さんは今年の6月に亡くなってしまいました。
コロナ禍 お別れにも行けませんでした。
「もう49日かな」なんて 義姉さんの思い出話などしながら
もっと 昔のお母さんの頃の話などしてる時に
甥っ子から「ぶどう」が届きました。
義姉さんが 「送ってやらなきゃ~ 待ってるよ」って
言ったのかな? なんて
甥っ子に感謝しながら 義姉さんの温かさを思い出しています。
(主人と二人で思い出話をしながら涙ぐんでいます)
お姉さん 働き者の暖かい人でした。
甥っ子は結婚した頃には4.5歳位でしたから
海に連れて行ったり 我が家にもよく来ました。
大阪の大学受験の時はお弁当を持たせて
送りました。
いつになったら行けるのでしょう。
お義姉さまの優しさを、甥っ子さんが
ちゃんと受け継がれたのですね。(^^)
そんなぶどうはきっと格別なお味ですね。
義母さんは 私の40になるまでに亡くなったから
それ以来 30いや~~40年近く 田舎に帰ると
義姉さんが これ食べ! これもって帰れ!って
我が実家は それがなかったから 本当の実家って感じでした。
お味噌もお米もいろんなものをもらいましたよ。
義理の御姉様もキット喜んでます。
今は大阪で 前は東京での住まいで
実家が岡山だったので 年に1・2度しか
帰れませんでしたが 温かく迎えてくれました。
今甥っ子の代になってしまい ちょっと遠のきましたが
気をつかってくれるのが嬉しいです。