中央自動車道「小淵沢インターチェンジ」から車約12分、「長野県富士見町境」にあって、約7,000年前の縄文時代早期に始まり、約5,000年~4,000年前の縄文時代中期に最も栄えたとされる集落遺跡が「井戸尻(いどじり)遺跡」だ。
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中小の河川が放射状に流れる八ケ岳の南麓、海抜800m~1000mの尾根や台地上に立地する一帯は、「井戸尻」「曾利(そり)」「藤内(とうない)」「九兵衛尾根(きゅうべえおね)」「居平(いだいら)」「唐渡宮(とうどのみや)」「向原(むこうっぱら)」などの遺跡が集中して、「井戸尻遺跡群」を形成する。
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それまでの農作業で多く土器や石器が見つかっていたというが、1958(昭和33)年、地元上諏訪町(現在の「諏訪市」)出身の考古学者「藤森栄一(ふじもり えいいち)」(1911/明治44年~1973/昭和48年)や、「茅野市尖石縄文考古館」初代館長の考古学者「宮坂英弌(みやさか ふさかず)」(1887/明治20年~1975/昭和50年)の指導のもとで発掘調査が行われ、1965(昭和40)年に2回目の発掘調査を経て、翌1966(昭和41)年国の「史跡」に指定されたという。
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なお現地には、「復元家屋は、長らく第四号住居跡に設けられていたが、平成五年の全面改築を機に現在の場所に移した」「柱の配置や炉など、中期中葉の井戸尻期に標準的な形態を復元した」との案内がある。
❖ 井戸尻考古館 「井戸尻遺跡」から徒歩約4分の「井戸尻考古館」は、これまでの発掘調査の出土資料のうち約2,000点の土器や石器と、住居や装身具などを展示し、当時の宗教観や世界観などを解説する。
❖ 井戸尻考古館 「井戸尻遺跡」から徒歩約4分の「井戸尻考古館」は、これまでの発掘調査の出土資料のうち約2,000点の土器や石器と、住居や装身具などを展示し、当時の宗教観や世界観などを解説する。
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1963(昭和38)年、パリで開催された「日本古美術展」に展示されたという「水煙渦巻文深鉢」は、1972(昭和47)年「郵便はがき」の料額印面の意匠にも採用され、広く人々に紹介されるところとなったが、卓越した意匠を示す我が国の縄文土器の一つと言えるだろう。
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また、「藤内遺跡」から出土した「半人半蛙文有孔鍔付土器」を含む土器と石器は、「長野県藤内遺跡出土品」として国の「重要文化財」に指定されているほか、1975(昭和50)年「曽利遺跡」の第四号住居跡から出土した7点の土器も、県宝に指定されている。
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同館の開館は午前9時~午後5時で、月曜日(月曜日が祝日の場合は開館)と祝日の翌日、年末年始が休館となる。
❖ 富士見町歴史民俗資料館 「井戸尻遺跡」「井戸尻考古館」それぞれから徒歩約3分の「富士見町歴史民俗資料館」は、農業を中心とする生産用具と生活用具や古文書など民俗資料を、収集し展示公開する。
❖ 富士見町歴史民俗資料館 「井戸尻遺跡」「井戸尻考古館」それぞれから徒歩約3分の「富士見町歴史民俗資料館」は、農業を中心とする生産用具と生活用具や古文書など民俗資料を、収集し展示公開する。
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同地は、縄文時代中期に最も栄えたとされる「井戸尻遺跡群」に始まり、戦国時代には甲斐「武田信玄」の信濃攻略拠点となり、江戸時代には「甲州街道」の「蔦木宿」が置かれたというが、1955(昭和30)年に「富士見」「本郷」「落合」「境」の4村が合併し、「富士見町」として現在に至っているという。
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同館の開館は午前9時~午後5時で、月曜日と祝日の翌日、年末年始が休館となる。
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