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日夏耿之介記念館と句碑😐😐😐余生を送った住居を移転復元した記念館と晩年の心境を詠んだとされる句

2020-10-27 17:00:00 | 文学 美術 音楽
「日夏耿之介(ひなつ こうのすけ)」本名「樋口國登(ひぐち くにと)」(「圀登」は通称)は、1890(明治23)年2月22日「長野県下伊那郡飯田町」(現在の「長野県飯田市」)に生まれ、象徴詩人として活躍する一方、翻訳や評論などにおいても独自の美意識に貫かれた活動を展開し、母校「早稲田大学」や「青山学院大学」の教授を歴任、1953(昭和28)年には飯田市名誉市民第1号に選ばれた文学者だ。
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1956(昭和31)年に脳溢血で倒れて以後、療養のために郷里の「飯田市大久保町」の新居に転居したが、1971(昭和46)年6月13日に81歳で没している。

 ❖ 日夏耿之介記念館  昭和の時代を彷彿とさせるこの記念館は、余生を送った「飯田市大久保町」の住居を移転復元し、1989(平成元)年に隣接の国登録有形文化財「柳田國男館」とともに「飯田市美術博物館」付属施設として開館したもので、本人蒐集の書籍・書画などが展示されている。観覧(無料)希望の場合は、「飯田市美術博物館」受付に申し込む必要がある。
 ❖ 「日夏耿之介記念館前」句碑  「日夏耿之介記念館」前には、「黄眠道人」「黄眠堂主人」などの号をもつ「日夏耿之介」の句碑「秋風や狗賓の山に骨を埋む 黄眠道人」がある。1989(平成元)年2月の建立だが、同じ句の刻まれた句碑が「風越山(かざこしやま)」にもあり、その句碑には1959(昭和34)年の古希記念に友人たちの勧めで建立したと記される。
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「狗賓(ぐひん)」とは、天狗としての格は低いといわれる「土着の神に近い妖怪」をいうが、この句は「風越山」に重ねて晩年の心境を詠んだと解されている。「わが墓は信南風越山のいただき奥の院の摩崖の下」と定めたとおり、浄土宗「松林山 宝樹院 柏心寺」(「飯田市箕瀬町」)に眠っている。

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