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井上井月句碑 駒ヶ根市内(伊那森神社 火山峠 駒ヶ池 など)😐😐😐酒食のもてなしを受けて日を暮した同地での井月を偲ぶ句碑

2020-10-20 13:00:00 | 文学 美術 音楽
「井上井月(いのうえ せいげつ)」は、1822(文政5)年に「越後長岡藩」で生まれたとされるが、生い立ちや俳人になった経緯は知られていない。1858(安政5)年、忽然と「伊那谷」に姿を現したと言われ、いたるところで昼寝もすれば野宿もする浮浪の生活を続けて、酒を好み漂泊を主題に俳句を詠んでいたという。
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俳諧趣味人の家や旧家から、酒食のもてなしを受けて日を暮したが、晩年には乞食の風体極まり、その風体から女性や子どもたちには、「乞食井月」と忌み嫌われていたとも伝えられる。
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「柳の家井月」「北越漁人」などとも号し、近世の俳諧沈滞期「月並俳句の時代」にあって、芭蕉の再評価を目指していたという。同地の趣味人の男性たちの中には、師事する者もいたというが、影響を受けた後の時代の文人に「芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)」(1892/明治25年~1927/昭和2年)「種田山頭火(たねだ さんとうか)」(1882/明治15年~1940/昭和15年)「つげ義春(つげ よしはる)」(1937/昭和12年~ )などの名前もあがる俳人だ。
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1884(明治17)年、井月の健康不安を心配する「塩原折治(梅関)」の配慮により、「上伊那郡美篶村末広太田窪」(現在の「長野県伊那市」)の「塩原家」厄介人として付籍し、「塩原清助」を名乗った井月だが、1886(明治19)年12月に路傍で行き倒れているところを発見され、塩原家で看病を受けるも、1887(明治20)年2月16日に66歳で没したという。「伊那谷」で句や書の理解者を得て、同地の土になった俳人だ。

 ❖ 「駒ヶ池」句碑  「駒ヶ池」は、中央自動車道「駒ヶ根インターチェンジ」から車約3分の「駒ヶ根高原」にあって、中央アルプス「宝剣岳」や「千畳敷カール」の四季折々の姿を眺めることの出来る観光スポットだ。
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その池の畔に、酒好きで上伊那地方を中心に南信州で放浪生活を送りながら作品を詠んだ「越後」生まれの井月の句碑「鴈かねに忘れぬ空や越の浦 井月」(かりがねにわすれぬそらやこしのうら)が、1987(昭和62)年に建立されている。
 ❖ 「火山峠」句碑  
国道153号「上伊那郡宮田村」の信号交差点「河原町」から車約10分、県道18号線「火山峠」から「駒ヶ根市東伊那」側へ約550メートルの同県道脇に「火山峠芭蕉の松」がある。
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1970(昭和40)年に「駒ヶ根市 史跡名勝天然記念物」の指定を受けた樹齢約400年と言われる赤松で、俳人井月の門人たちが「付近一帯が松茸の産地であることから、芭蕉の句の中よりこの地にちなんだものを選んだ」ということで、「者世越 松茸や志良ぬ木乃葉能遍はり都支」(まつだけやしらぬこのはのへばりつく)の句碑を1869~1870(明治2~3)年に建立して以来、「芭蕉の松」と呼ばれるようになったと言われている。
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芭蕉の句碑があることからこの呼び名がある「火山峠芭蕉の松」だが、その芭蕉の句碑に並んで、「塩原折治(梅関)」筆による井月の辞世「井月終焉の道 闇幾夜毛花能明りや西乃旅 井月」(くらきよもはなのあかりやにしのたび)の句碑が、1987(昭和62)年5月に建立されている。


 ❖ 「伊那森神社」句碑  国道153号「伊南バイパス」信号交差点「古田切」から車約5分の「駒ヶ根市東伊那伊那耕地」にある「伊那森神社」は、1909(明治42)年に「殿村八幡社」「神明社」「富士浅間神社」「天白社」が合祀され「伊那森神社」と改称された神社だ。祭神は、「建御名方命(たけみなかたのみこと)」「大日孁貴(おおひるめのむち/天照皇大神)」「誉田別命(ほんだわけのみこと)」「木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」で、9月最終日曜日が例祭日だという。
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御神木ではないが、境内には樹齢約250年の欅があり、市の景観保存樹木第2号に指定された幹回り6.8m高さ34mの見事な姿を見せている。その境内に、句碑「よき酒のある噂なり冬の梅 井月」(よきさけのあるうわさなりふゆのうめ)が、1993(平成5)年春に建立された。

 ❖ 「小鍛冶大橋西」句碑  国道153号「伊南バイパス」の信号交差点「下市場」から車約5分の「駒ヶ根市下平」で、「県道18号伊那生田飯田線」に接続する「天竜川」に架かる橋梁「小鍛冶大橋」西に、句碑「鰷若し橋も小舟もある流れ 井月」(あゆわかしはしもこぶねもあるながれ)が、1989(平成元)年秋に建立されている。

 ❖ 「駒見大橋東」句碑  国道153号「伊南バイパス」信号交差点「古田切」から車約4分、「天竜川」に架かる「駒見大橋」から約650メートルの「駒ヶ根市東伊那伊那耕地」に、1999(平成11)年11月、「駒見大橋の竣工を祝し、この地にゆかりの深い俳人井月の句碑を記念として建立」したという。
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「井上井月」は、同地でも旧家や俳諧の手ほどきをした趣味人の家などから、酒食のもてなしを受け、野宿もする生活を続けて、酒と漂泊を主題に俳句を詠んだ俳人だ。晩年には乞食の風体極まったというが、1886(明治19)年師走に路傍で行き倒れているところを発見され、「塩原折治(梅関)」宅で看病を受けるも、1887(明治20)年3月10日に65歳で没したという。
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野晒しのような終焉にこそ本意があったのかもしれぬ井月の句「舟を呼ぶこゑは流れて揚雲雀 井月」(ふねをよぶこえはながれてあげひばり)が、「中央アルプス」「天竜川」を望む句碑となって佇んでいる。

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