世の中には器用な人、不器用な人がいる。
大半は自分のことを不器用と思っているのではないだろうか?
そう思っている私自身、不器用に生きてきた。
切羽詰まらないと立ち上がれない。競争心もない。
当然、戦うことは嫌いである。防御もしない。殆ど、悩むこともない。
カッコつけたって足をすくわれるのが目に見えているから、見栄を張ることもない。
生活レベルでは無様でも動揺しない。
日常の反動か。・・・舞台では豹変する。
劇に取り掛かると、その不器用さが鋭い武器になってしまうのである。
登場する人物たちは不器用な人たちばかりだ。
ぴったりする。花がある。造花である。枯れない。
この不器用さが劇的に思える。
不器用は不気(ぶき)味な武器(ぶき)になる。
かみ合わない会話が新たな世界を浮かび上がらせる。
それは会話が鋭いナイフのように切れるからである。
とりわけ、狂人(きちがい)まで沸騰すると、これが本当の人間らしさではないだろうかと感動を覚える。
寺山修司のことばを切ったり貼ったりしながらコラージュしている。
「遊戯療法」では狂人ばかりが登場する。
「生」と「死」の狭間に立ち、「不器用な人はこっちへおいで!」と誘う。
するとどうだ。
正常と思っている日常の価値観がひっくり返ってしまうのだ。
エライ人がバカにみえるようになる。
残念だが、全ての人には通用しないようだ。
言えることは、自分のことを不器用な人間だと思っている人には共感を得る。
器用に生きていけない人間の特権。
脳を洗う消毒液は寺山修司!
■
「剃刀の刃で両瞼をひらけ!より深く見るために。」(出口君)
「闇をもって闇を照らせ!そうすりゃ歴史がよく見える。」(壁女)
「世界中の電気が消えたら、猫を探せ。」(影山影子)
「さあ、道をあけろ!影が通るのだ、夜が吹き抜けるのだ。」(影)
「もう芝居は終わったんだ、あとから来るのは鬼ばかり。(ICUの花嫁)
「もっと闇を!」(照明係の看護ふ1)
「もっと言葉を!」(照明係の看護ふ2)
「100ワットの牢獄から、闇の自由へ。」(音響係の看護ふ)
「マッチ一本、夢を見る。」(ライブ音楽の看護ふ)
「地球は大きな目玉に過ぎない。」(流し台の天文学者)
「愛される闇ではなく、恐れられる闇を!」(床下の散歩者)
「盲人書簡」(寺山修司)より、「遊戯療法」の登場人物へ貼り合わせる。
大半は自分のことを不器用と思っているのではないだろうか?
そう思っている私自身、不器用に生きてきた。
切羽詰まらないと立ち上がれない。競争心もない。
当然、戦うことは嫌いである。防御もしない。殆ど、悩むこともない。
カッコつけたって足をすくわれるのが目に見えているから、見栄を張ることもない。
生活レベルでは無様でも動揺しない。
日常の反動か。・・・舞台では豹変する。
劇に取り掛かると、その不器用さが鋭い武器になってしまうのである。
登場する人物たちは不器用な人たちばかりだ。
ぴったりする。花がある。造花である。枯れない。
この不器用さが劇的に思える。
不器用は不気(ぶき)味な武器(ぶき)になる。
かみ合わない会話が新たな世界を浮かび上がらせる。
それは会話が鋭いナイフのように切れるからである。
とりわけ、狂人(きちがい)まで沸騰すると、これが本当の人間らしさではないだろうかと感動を覚える。
寺山修司のことばを切ったり貼ったりしながらコラージュしている。
「遊戯療法」では狂人ばかりが登場する。
「生」と「死」の狭間に立ち、「不器用な人はこっちへおいで!」と誘う。
するとどうだ。
正常と思っている日常の価値観がひっくり返ってしまうのだ。
エライ人がバカにみえるようになる。
残念だが、全ての人には通用しないようだ。
言えることは、自分のことを不器用な人間だと思っている人には共感を得る。
器用に生きていけない人間の特権。
脳を洗う消毒液は寺山修司!
■
「剃刀の刃で両瞼をひらけ!より深く見るために。」(出口君)
「闇をもって闇を照らせ!そうすりゃ歴史がよく見える。」(壁女)
「世界中の電気が消えたら、猫を探せ。」(影山影子)
「さあ、道をあけろ!影が通るのだ、夜が吹き抜けるのだ。」(影)
「もう芝居は終わったんだ、あとから来るのは鬼ばかり。(ICUの花嫁)
「もっと闇を!」(照明係の看護ふ1)
「もっと言葉を!」(照明係の看護ふ2)
「100ワットの牢獄から、闇の自由へ。」(音響係の看護ふ)
「マッチ一本、夢を見る。」(ライブ音楽の看護ふ)
「地球は大きな目玉に過ぎない。」(流し台の天文学者)
「愛される闇ではなく、恐れられる闇を!」(床下の散歩者)
「盲人書簡」(寺山修司)より、「遊戯療法」の登場人物へ貼り合わせる。
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