劇団夢桟敷「週刊月曜日」
〈第13号 2022.04.04発行〉
https://yumesajiki.jimdofree.com/
■錬夢術の演劇(1)
underground theatre.
劇団夢桟敷は1979年6月15日に東京早稲田鶴巻ハウス(6畳一間)で誕生した。
前年1978年、状況劇場「ユニコン物語」(紅テント)熊本公演で衝撃を受けて熊本浪人文芸グループ「BLACK HALL(黒い社交場)」夢現、上村源太、山南が上京しての演劇活動の始まりとなる。
(注)キッカケの中身、動機は略。
当時は劇団ブラックホールを名乗る。
(注)「小劇史・夢桟敷第一期1979-1984」年譜
1984年より熊本に戻り「夢桟敷」の名称に変える。
寺山修司没直後「天井桟敷」の「天井」をサッと「夢」に差し替えた。
(注)以降第二期〜熊本が拠点となる。
旗揚げから今年2022年で劇団夢桟敷は43年になる。「継続は力」と言われるが、〈権力・権威・経済〉の「力」とは落ちこぼれの43年だったと言える。
追いもせず、〈権力・権威・経済〉の活動からは枠外と言える。自虐や謙遜ではない。…言える。
これはこれで揺るぎない「志」だったのだろう。だって、影響を受けた演劇は世の中を〈ひっくり返す〉勢いだった。ひっくり返った人々が如何に多く輩出されたろう。
1960年代後半から1970年代前半にかけて演劇は若者サブカルチャーの叛乱に思えた。
演劇革命・前衛・事件!ナンジャコリャの時代。
誰が名付けたか?アングラ演劇と呼ばれた。
劇団夢桟敷の特徴は?と問われれば
「奇妙奇天烈アッパラパッパッパ」
お笑い劇団ではない。
自称アングラ演劇の「アングラ」は〈死語か死後〉か?〈思想か死相〉か?
他称ではなく、自称アングラ演劇は模倣・模索を続ける。
錬夢術である。
夢は「こうありたい希望」とは違う。眠りに落ちた時に見る不思議な世界か。非日常とも言えるだろう幻想や妄想を形にしようとする。容易なことではないが、自然の演技や行為から離れていく。離れて自然の演技や行為を懐かしく新たに気づくことがある。
正常と異常の境界があるとすれば、一度は正常を疑う余地があるのではないかと考える。疑うハテナ人間のススメが演劇か。前へススム。
悲しいから泣く、嬉しいから笑うを疑う。その先に何があるか。
何故、眠りに落ちた夢を演劇の形にしてみようと思ったのだろうか。…〈不自然に自然を感じること〉と〈自然に不自然を感じる〉ことは切り口・感性が鋭くなると思うから。
リアリズム批判。
簡単にリアリズム批判と言うけれど、現実をなかったことにすることではない。現実の社会事情や事件事故、自然現象までを含む関係の中で夢の暴力でかき混ぜる。
「錬夢術」とは演劇の制作過程で否応なく突き当たる「肉体」の在り方に取り組む。名付けて〈役者体〉とも言われる。
「錬夢術」と「錬肉術」とは同時進行する。…夢と肉の関係!
演劇ワークショップや公演に向けての稽古ではセリフや演技の刷り込みを通じて、眠っていた幻想や妄想を発見する術を用いる。
(「錬夢術」次号14号へつづく。山南)