《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)
極楽寺のある谷戸の奥の谷戸を西ヶ谷と呼んでいるようだ。
極楽寺が現在の病院の役割を担う施設を持っていたことは良く知られている。
掌のように広がるこの辺り一帯の谷戸には極楽寺の支院が無数にあった。
極楽寺坂切り通しがあることから、この辺りも鎌倉の周縁と考えられていた時期があった。
地獄谷と呼ばれていたことがそれを証している。
鎌倉の周縁には市が立って人が集まることから、遊女がおり、刑場がおかれたりする。
病人を隔離したのもその延長線上で、北条氏の命があったとはいえ、死を待つばかりの伝染病患者に直接手を差し伸べた忍性の凄さが思い知らされる。
今は谷戸の一部に畑が遺されている。
畑の最奥に湧水を溜めておく水場があり、さらに奥に一段高い平場があった。
これまで藪化していたのだが、綺麗にされたので、早速撮ってきた。