鎌倉八百ヶ谷戸

鎌倉の街はそのものが環境遺跡

善財 一 写真集

扇ヶ谷 英勝寺の竹林

2022-01-20 21:26:34 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)

 

英勝寺の竹林が間伐によって綺麗になった。

いや、明るくなり過ぎたかもしれない。

もっと、しっとりと落ち着いていた方が好みではある。

竹林への石段を上がった所に山椒の木があったのだが、それもなくなってしまったのは残念。

でも綺麗になったのはうれしい。

 

英勝寺の竹林は、切り削がれた山襞に抱かれているような空域にある。

竹林だけでなくその周囲にある石造遺構にも注目してほしい。

竹林は特に夏がいい。ここだけは夏が待ち遠しい。


極楽寺谷奥の西ヶ谷

2022-01-16 21:17:26 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)

 

極楽寺のある谷戸の奥の谷戸を西ヶ谷と呼んでいるようだ。

極楽寺が現在の病院の役割を担う施設を持っていたことは良く知られている。

掌のように広がるこの辺り一帯の谷戸には極楽寺の支院が無数にあった。

 

極楽寺坂切り通しがあることから、この辺りも鎌倉の周縁と考えられていた時期があった。

地獄谷と呼ばれていたことがそれを証している。

鎌倉の周縁には市が立って人が集まることから、遊女がおり、刑場がおかれたりする。

病人を隔離したのもその延長線上で、北条氏の命があったとはいえ、死を待つばかりの伝染病患者に直接手を差し伸べた忍性の凄さが思い知らされる。

 

今は谷戸の一部に畑が遺されている。

畑の最奥に湧水を溜めておく水場があり、さらに奥に一段高い平場があった。

これまで藪化していたのだが、綺麗にされたので、早速撮ってきた。


御谷

2022-01-15 07:41:54 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)

 

鶴岡八幡宮の北西に空き地がある。

御谷と呼ばれている、鶴岡八幡宮寺に関わる社僧の住坊のあったところ。

鶴岡八幡宮寺と言ったが、明治の神仏分離令以前は、鶴岡八幡宮は寺としての要素を持ち合わせていた。

さて、昭和三十年代にこの空き地が宅地開発されることになった。

そして反対運動がおこり、以降手つかずのまま遺されている。

なんの建物もない。だから誰も来ない。

それでいい。

その奥の屋敷跡。


夜明け前の青梅聖天社

2022-01-12 21:36:00 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)

 

現在の巨福呂坂の車道は、近代に至ってから切り通されたもの。

七口に数えられている鎌倉と山ノ内を結ぶ本来の巨福呂坂は、鶴岡八幡宮の西側に小道を進み、急坂を経て山越えするルートであった。

道路工事に伴い宅地開発が進み、巨福呂坂切り通しの旧道は失われている。

その途中の、山際にへばりつくような急な石段を上がったところに青梅聖天社がある。

ほとんど知られていない神社であることから、訪れる人もない。

 

とある夏のこと、ここで写真を撮っていたところ、白い装束に身を包んだ修行僧と思しき一団がきて一休みといった態。

一言もしゃべらず、十分ほど休むと、再び石段を降って去っていった。

修行僧のルートになっていたのであろうか、不思議な時間であった。

石段は良く滑る。

ここで滑って腕を骨折したことがある。


久木の湿地

2022-01-10 18:00:46 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てほしい)

 

冬の湿原。

湿原とは言っても、鎌倉ではこんなものだ。

 

水路を切り込んで乾燥した土地を造ろうとしているが、この辺りは特に湧水が多く、容易ではない。

夏には子供たちの遊び場になる。