よく「言い方がなっていない」という人を聞く。
テレビや仕事の場面でも耳にすることがある。
我が家の場合は、夫婦ゲンカになると、夫が私に対し、このフレーズを多用する。
しかし、そのフレーズを使う人に問うてみたい。
「言い方があれば、聞き方もあるんじゃないか?」
分かりやすいのは仕事の場面。
上司でも同僚でも、得意先でも、言い方が悪いと言われる人はだいたい決まっている。
しかし、否が応にも、その人と仕事でどうしてもからまないといけない時はある。
だが不思議なことに、その言い方がなっていない人と毎日のように接する
人たちは、その言い方がなっていない人に対して怒るどころか、呆れ果て、
聞いたことも、相手の言動も、基本的には右から左へ流すような力が付いている。
私は、その”流す力”ってとても賢明であり、ある意味、正しいと思う。
言い方がなっていない人の、言葉一つ一つを真面目に受け止めていたら、
憂鬱が積み重なり、胃に穴はあくわ、眠れない日々は続くわ、自殺願望さえも出てきそうになるだろう。
でも、大多数の社員は、そんな極端な悪い結果はなく、それどころか、
その言い方がなっていない上司が早く別支店へ移動することを願ったり、
定年退職する時期を今か今かと待っていたり、
自分自身が別部署へ異動できることを望んでいたりと、愚痴りながらも、
内心はしたたかでかつクールである。
しかし、家庭となるとどうか。
何故か、そんな柔軟な対応ができていないのが実情ではないか。
そりゃー、家庭(ここでは夫婦間)では、部署異動や定年退職という概念はなく、
現状か離婚(別居含む)かの極端な選択しかない。
だから、「言い方がなっていない」というフレーズが口から出てくるのだろう。
でも、私はそんな夫に言っている。
「言い方があるなら、聞き方もあるだろう。
仮に私の言い方がなっていないとしても、私の言い方がそうなっている
原因が必ずあるはずだ。
私をそうさせている原因が何なのかをまず考えなさい。
考えても分からないなら(私に)聞きなさい。
それが夫婦の会話であり、夫婦ゲンカであるのだ」と。
相手が怒ることには必ず原因があるわけで、それを解決するために衝突することが
夫婦ゲンカだと私は思っている。
その怒りの原因や現在の問題点を探し、一旦の着地点を決めないといけない夫婦ゲンカで、
「言い方がなっていない」という”マナー論”とでもいおうか、なんともアバウトな論を繰り広げる程、
今の私たちの日常生活には時間的余裕がない。
生産的な夫婦ゲンカをするためにも、”相手の言い方がなっていないを咎める戦法”を使うことは
単に感情的になるだけで、何とも非生産的な夫婦ゲンカだと思う。
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