豊後国のニ孝女は、江戸時代後期に、親鸞ゆかりの地の巡礼の途上で
病に倒れた父親を迎えに行くために、豊後国臼杵藩(現大分県臼杵市)から
常陸国水戸藩(現茨城県常陸太田市)の青蓮寺まで旅した姉妹です。
豊後国臼杵藩の農民川野初衛門は、巡礼の旅途上で足を痛め、
常陸国水戸藩の青蓮寺にとどまって長期にわたる療養を余儀なくされました。
足の痛みは回復するどころか悪化し帰ることは不可能だと考えた住職は、
境内の西側に一室を作り、生活をさせることにしました。
その後、青蓮寺や地域の人たちが、初衛門の世話をして下さっていました。
初衛門は、7年の月日をこの場所で過ごしました。
青蓮寺西側に、療養した建物の跡地がありました。
そのような時、京都の西本願寺で青蓮寺の住職と豊後の
善正寺の住職と出会い、初衛門が生きていることがわかりました。
その話を聞いた初衛門の娘(つゆ22歳、とき19歳)は、遠く約1200km離れた
青蓮寺までお父さんを迎えに旅に出ました。
現在の旅とは違い、船や歩いての2か月かけての旅でした。
困難な旅の末に青蓮寺でお父さんと再会を果たしました。
この姉妹に心を動かされた地域の人々はもちろんのこと、水戸藩、臼杵藩の
支援を受け、翌年の春に、郷里へ無事親子3人帰ることができました。
ニ孝女の話は、郷里の臼杵市では長く語り継がれていました。
しかし、常陸太田市では忘れ去られ、伝承されませんでした。
この話が実話か否かは定かではなかったが、2004年に臼杵市の郷土史研究家が
青蓮寺に照会したことをきっかけに、2005年に青蓮寺で書簡17通が発見されました。
ニ孝女物語の史実が明らかになり、事実であることが判明しました。
青蓮寺の中には、ニ孝女についての展示がされていて、興味深く見ることができました。
2010年10月には、青蓮寺の境内に記念碑が建立されました。
静かな境内を歩きながら、先人を想い、同じ茨城県民のひとり
として心温まる史実に触れることができ嬉しく思いました。
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