ラサ最終日は4500㍍近くまで上り、
ヤムドゥク湖を見に行きました。
チベット人にとってこの湖は聖なる湖。
今でも保護の為、入山は時間制です。
市内から車に乗ること2時間。
途中までは、ラサ川に沿ってなだらかな道を進みます。
検察ゲートを過ぎると後はひたすら上り坂。
つづれ織りの山道を登っていきます。
この途中でも十分眺めが良く、今まで横を流れていたラサ川が谷間から見える風景は素晴らしく、
何度も車の窓からシャッターをきりました。
そうこうしていると、車は山頂展望台に到着。
駐車場に下りると日差しは強いのに風が冷たく、気温もぐっと下がっています。
そして、そこには
神々しいばかりに碧く澄んだ湖と
その奥に山頂に雪を頂いたヒマラヤ山脈が連なっていたのでした。
感動で言葉にならないということが本当にあるのだと、この時思いました。
どのような言葉を並べても、表現できない圧倒的なスケールと完璧な美。
夢中で撮った写真さえ、後で見返すとなんの価値も無いと思えるほどでした。
このブログを書くにあたり、
あの湖の『あおい色』は何色なのかちょっと調べてみました。中国では、
『青』は若い草の色(実際は緑)、そしてお天気の時の空の色。
同じ訓を持つ『碧』は緑がかった青のことだそうです。そして、『碧』は宝石の色を指すそうです。
空から降る雨(青)によって出来ている湖は空より碧く澄んでいる。
『碧は青より出でて青より碧し』
ポタラ宮見学の後は
セラ寺、ジョカン(大昭寺)と巡ります。
セラ寺はラサの市街地から少し北に位置するお寺です。現在もここで修行中のお坊さんがたくさんいます。
チベット語で書かれたお経の本も沢山売っていました。お寺保管の経典は意外にも未だ木版印刷!
一般に販売しているものは一冊10元(150円)位と安価でしたが、allチベット語は開くだけでクラクラしました。(買いませんでしたけどね)
セラ寺で最も有名なのは馬頭観音。
こちらに参拝するために、巡礼者だけでなく多くの観光客や地元の人も長い列を作っていました。
子どもが生まれると馬頭観音にお参りし、鼻に黒い炭を塗ってもらうとその子は元気に育つと言われているとのこと。
生まれたてだけでなく、そこに来ている子どもたち皆鼻が黒いが可愛かったです。
そして、チベット仏教の総本山大昭寺へと移動します。
多くの巡礼者達はここを目指してやってきます。
ポタラ宮は政治の場所でした。だから本当の信仰の対象はこっちです。本殿正面で五体投地を繰り返す巡礼者達。
標高3700㍍の地でこれをくり返すのは
かなり大変です。
中庭を越えて進むと仏像が安置されている建物があります。
12歳の釈迦を象った仏像が最も価値のある仏像とされており、人々は行列を作って参拝していました。狭い通路で五体投地をする人もいて、室内はかなりごった返していました。
ダライ・ラマ5世が崩御した後、清の皇帝はこの仏像を返還するように求めたそうですが、ラサの人々はそれを拒否、大昭寺の横穴にこの仏像を隠したんだそうです。
行列に並ぶ程信仰心が厚いわけではないので、外からチラッと見ただけですが、金ピカで私達の知っている"ありがたい"仏像とはちょっとイメージが異なりました。
どうやらお布施を払うと仏像に金を塗ってくれるらしいのです。道理で必要以上にピカピカしてたのですね。
参拝を終えた我々は、最後に大昭寺周辺に広がるバルコルを散策しました。
簡単に言うと門前町で、観光客を狙った安宿や土産物店が軒を連ねています。
相変わらずお土産を買わない族の私達、街の雰囲気は味わったものの、何も買わずに全行程を終了。
ホテルに戻ると睡魔が…
回復したとはいえ、空気の薄い場所で動くのは、思っている以上にハードなんだと自覚させられました。
セラ寺、ジョカン(大昭寺)と巡ります。
セラ寺はラサの市街地から少し北に位置するお寺です。現在もここで修行中のお坊さんがたくさんいます。
チベット語で書かれたお経の本も沢山売っていました。お寺保管の経典は意外にも未だ木版印刷!
一般に販売しているものは一冊10元(150円)位と安価でしたが、allチベット語は開くだけでクラクラしました。(買いませんでしたけどね)
セラ寺で最も有名なのは馬頭観音。
こちらに参拝するために、巡礼者だけでなく多くの観光客や地元の人も長い列を作っていました。
子どもが生まれると馬頭観音にお参りし、鼻に黒い炭を塗ってもらうとその子は元気に育つと言われているとのこと。
生まれたてだけでなく、そこに来ている子どもたち皆鼻が黒いが可愛かったです。
そして、チベット仏教の総本山大昭寺へと移動します。
多くの巡礼者達はここを目指してやってきます。
ポタラ宮は政治の場所でした。だから本当の信仰の対象はこっちです。本殿正面で五体投地を繰り返す巡礼者達。
標高3700㍍の地でこれをくり返すのは
かなり大変です。
中庭を越えて進むと仏像が安置されている建物があります。
12歳の釈迦を象った仏像が最も価値のある仏像とされており、人々は行列を作って参拝していました。狭い通路で五体投地をする人もいて、室内はかなりごった返していました。
ダライ・ラマ5世が崩御した後、清の皇帝はこの仏像を返還するように求めたそうですが、ラサの人々はそれを拒否、大昭寺の横穴にこの仏像を隠したんだそうです。
行列に並ぶ程信仰心が厚いわけではないので、外からチラッと見ただけですが、金ピカで私達の知っている"ありがたい"仏像とはちょっとイメージが異なりました。
どうやらお布施を払うと仏像に金を塗ってくれるらしいのです。道理で必要以上にピカピカしてたのですね。
参拝を終えた我々は、最後に大昭寺周辺に広がるバルコルを散策しました。
簡単に言うと門前町で、観光客を狙った安宿や土産物店が軒を連ねています。
相変わらずお土産を買わない族の私達、街の雰囲気は味わったものの、何も買わずに全行程を終了。
ホテルに戻ると睡魔が…
回復したとはいえ、空気の薄い場所で動くのは、思っている以上にハードなんだと自覚させられました。
ラサ観光の目玉はポタラ宮。
ダライ・ラマが居住、執政を行っていた場所です。
ダライ・ラマ亡命後は観光地化が進み、今では年間200万人の観光客が訪れます。
全体のほんの一部か公開されているに過ぎないのですが、仏教って一体何?の私には十分でした。
室内は写真は撮れませんでしたが、中庭はOK!
昔はここで民族舞踊が披露され一番上の窓からダライ・ラマが鑑賞していたのだとか。窓枠の周りが黒いのは魔除けのためなのです。
ポタラ宮北側には巡礼者がたくさん!
これぐるぐる回すとなが~いお経を読んだのと同じ効果があるんだとか。
ここらへんで自分たち無神論者って一体と今更ながら思い始めるラサの旅なのでした。
ダライ・ラマが居住、執政を行っていた場所です。
ダライ・ラマ亡命後は観光地化が進み、今では年間200万人の観光客が訪れます。
全体のほんの一部か公開されているに過ぎないのですが、仏教って一体何?の私には十分でした。
室内は写真は撮れませんでしたが、中庭はOK!
昔はここで民族舞踊が披露され一番上の窓からダライ・ラマが鑑賞していたのだとか。窓枠の周りが黒いのは魔除けのためなのです。
ポタラ宮北側には巡礼者がたくさん!
これぐるぐる回すとなが~いお経を読んだのと同じ効果があるんだとか。
ここらへんで自分たち無神論者って一体と今更ながら思い始めるラサの旅なのでした。
鉄道の終着駅はラサ。
チベット仏教の総本山のような場所です。
我々無神論者には想像もつきませんが、
五体投地という地べたにひれ伏すお祈りを繰り返し、
ここラサを目指す巡礼者達もいるのです。
午前9時過ぎに到着すると、
入山証明(?)検察をして
やっと無罪放免です。
今日は、体慣らしのために特に予定はありません。
とは言ってもただ寝ているだけでは駄目らしいので、
ホテルから歩いてノルブ・リンカまで行ってみました。
ここはダライ・ラマの夏の宮殿で、
ダライ・ラマが亡命後は公園になっています。
チベット仏教はインド仏教に密教のエッセンスが加わってチベットに入ってきたので
日本の仏教芸術とは趣が異なります。
とにかく、原色!
建物がカラフルなだけでなく、
たくさんのお花が植えられていて、正に極楽浄土風!
それにチベットの空は限りなく青い!
あ〜、すごいな〜、きれいだな〜
あっ、なんか、頭痛いな〜
なんて思っていたら、案の定、高山病やっちゃってました。
夕方の検診で摘発され、点滴と酸素吸入しました。
明日こんなんでポタラ宮登れるのか??
チベットのラサに来ています。
甘粛省の蘭州から青藏鉄道で24時間、
電車は走るよチベット高原。
夕方から天候が回復し、
ゴルムドで見た日の入りはそれはとてもとても美しかったです。
中国は東西に広いのに統一時間を使用しているので、
これでも7時を過ぎています。
よく朝、日が昇ると幻想的な風景を見ることが出来ました。雲海が自分の目線と同じ高さに広がっていたのです。
そして7000㍍急の山々が、頂に雪を抱いて朝日に照らされていました。
美しい!
甘粛省の蘭州から青藏鉄道で24時間、
電車は走るよチベット高原。
夕方から天候が回復し、
ゴルムドで見た日の入りはそれはとてもとても美しかったです。
中国は東西に広いのに統一時間を使用しているので、
これでも7時を過ぎています。
よく朝、日が昇ると幻想的な風景を見ることが出来ました。雲海が自分の目線と同じ高さに広がっていたのです。
そして7000㍍急の山々が、頂に雪を抱いて朝日に照らされていました。
美しい!