5/23のお昼は、『太陽神と弥勒信仰展』@龍谷ミュージアムに行ってきました。
その前に、漬け野菜isoismでランチ。
基本予約で埋まるようで、11:30に着くと満席となっていましたが、なんとかねじ込んでもらえました。
ランチは一種類のみ。この日のご飯は、九条ネギと桜エビの炊き込みご飯をお釜で。
お漬物だけで足りるかしら?と思ったけれど、お腹いっぱいになりました😋
その前に、漬け野菜isoismでランチ。
基本予約で埋まるようで、11:30に着くと満席となっていましたが、なんとかねじ込んでもらえました。
ランチは一種類のみ。この日のご飯は、九条ネギと桜エビの炊き込みご飯をお釜で。
お漬物だけで足りるかしら?と思ったけれど、お腹いっぱいになりました😋
そしてデザートは、Fukunaga901でオレンジパフェ。
龍谷ミュージアム『バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰』
太陽神は、BC8世紀〜BC5世紀頃に書かれたとされる『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』に、インドラ(雷雨の神様)と対立する太陽の神様であり阿修羅の王・スーリヤ=ヴィローチャナとして登場します。
スーリヤはインドラに負けるのですが、仏教がそれを復活させ、1〜2世紀ごろ成立した華厳経ではブッダをヴァイローチャナ=太陽神として祀っています。これを大日経のシュバカラシンハは大日如来と訳しました。
2世紀中頃、熱心な仏教徒のカニシュカ王が北西インドを治めると、たくさんの仏塔やブッダ=太陽神とする仏像が作られました。ガンダーラの大仏もその一つで、玄奘三蔵(602-664年)はガンダーラをはじめインド中を旅して、中国へと経典を持ち帰っています。現在日本で読む般若心経も、この時に玄奘が持ち帰ったものです。
弥勒菩薩は、バーミヤンで太陽神として祀られていたミトラ。華厳経ではヴァイローチャナの宮殿の主人として採用されます。
弥勒は、ブッダの涅槃から56億7千万年後に衆生を救済に来るとされていますよね。私は今まで、なぜすぐに来てくれないのだろう?と弥勒に対して少し不信感があったのだけれど、次のブッダになるべく修行をしているのだと聞いて納得。
ていうか、この弥勒めちゃくちゃイケメンじゃないですか!?西の方で作られた仏像は彫りが深くてイケメンなんですよね〜💕それだけでも見る価値があります☝️
しかし、一度はインドラに負けて隅に追いやられることになった太陽神が、なぜこのように復活したのでしょうか?
もしかしたら、インドラ一辺倒のバラモン教に反発があったのかも?どう考えても雷雨よりも太陽の方が有益ですし、太陽を祀りたくなるのは自然な気がします。日本でも天照大神を最高神としていますよね。
ま、どの時点を採用するかってだけの話なのですが、私は密教も中期密教(というか空海)止まりで良いかなぁ…。