おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

小林秀雄の「アシルは額に汗して、亀の子の位置に関して、その微分係数を知るだけである」ということばから-小林秀雄とベルクソン哲学③-

2024-10-26 06:41:32 | 日記
ベルクソンは、ベルクソン哲学の誕生のきっかけのひとつになったであろう「アキレスと亀」の問題に、いたるところでふれているようである。

哲学者としてのベルクソンの処女作であり博士論文でもある『時間と自由』(原題『意識の直接与件論』)以来、『物質と記憶』、『創造的進化』、『道徳と宗教の二源泉』、『思想と動くもの』といった一連のベルクソンの主著のいずれにおいても、この問題への言及が見られる。

「学生時代からベルクソンを愛読してきた」小林秀雄の眼に、このベルクソンの哲学的な原体験とも呼ぶべきゼノンのパラドックス、言い換えれば、「アキレスと亀」のパラドックスが見えなかったはずはなく、小林秀雄の文芸時評『アシルと亀の子』は、その題名が示すように、圧倒的なベルクソン哲学からの影響下に書かれていることは、小林秀雄は明言はしていないが、否定のしようがないだろう。

ベルクソンは、「アキレスと亀」の問題を、どのように捉え、どのように解決したのであろうか。

ベルクソンは、『思想と動くもの』のなかに収められた「変化の知覚」という講演のなかで、

「エレアのゼノンの議論は皆様もよくご記憶のところと思います。
彼の議論はすべて運動と通過された空間との混同を、もしくは少なくとも空間を取り扱うやり方で運動を取り扱うことができ、運動の分節を考慮せずに運動を分割することができるという確信を含んでおります。
ゼノンは次のようにいいます。
アキレスは亀を追いかけているが、決して追いつけないだろう。
なぜなら、亀がいた点にアキレスが到着したときには、亀は、その間に前進しているだろうから」
と話している。

ベルクソンは、ゼノンのパラドックスを、運動の問題として捉え、運動を運動のして捉えようとしないため、パラドックスに陥るのだと、考えているようである。

運動は分割不可能なものであるにもかかわらず、あえて運動を分割してしまうところに、矛盾の根拠を見出すのであろう。

分割された点の集合が運動になることはできない、と錯覚するのは、人が空間的な思考にあまりにも深く慣れすぎているせいかもしれない。

ベルクソンは、運動は「持続」であり、分割できないものだと考えており、そこに、ベルクソンの時間論が生まれるのだろう。

つまり、持続としての時間である。

ベルクソンは、時間もまた持続であり、分割できないものと考えており、その考えは、最初の著書『時間と自由』以来一貫してベルクソン哲学の核心となっている。

運動や変化を真の実在とし、不動や物を第二義的な実在とみなすベルクソンの存在論も、運動し変化するものとしての実在を把握するためには直感によるしかないとする認識論も、ともにこの運動の不可分性という問題から必然的に帰結する。

ベルクソンが、ゼノンのパラドックスのなかに、その哲学的開眼のきっかけのひとつを見出すのはこのようにしてであるのだろう。

ベルクソン哲学の核心は、運動や変化や持続を分割してはならない、という点にあるのだが、分割できないものを分割したときにうまれたものが形而上学であるといえよう。

形而上学は、運動するものの根底に不動物を設定し、それこそが真の実在であるとしたのだが、その真の実在なるものは、運動や変化が残した影であり、ベルクソンはそれを、運動や変化の「単なるスナップ写真である」
と言っている。

つまり、スナップ写真をいくらつなぎ合わせても、それは運動になることはないだろう。

ベルクソンは、『変化と知覚』のなかで、

「私はこれ以上しつこく申しません。
われわれ一人一人が体験してみればよいのです。
われわれ一人一人が変化や運動の直接的洞察を自ら行ってみればよいのです。
そうすればこれらの絶対的不可分性を感じ取るでしょう」
と言った上で、
「変化はある、然し変化の下に、変化するものはない。
変化は支えを必要としない。
運動はある、しかし、運動する惰性的不変化的対象はない。
運動は、運動体を含まない」
と言っている。

ベルクソンはこのような観点から、伝統的な形而上学を批判し、また実証科学を批判する。

形而上学は、経験論であれ、合理論であれ、いずれにしろ変化の下に、変化しないもの、つまり不動の実在を実体として前提とする。

言い換えれば、変化の下に不変の実在を前提とする実体論的な思考は、必然的に、ゼノンのパラドックスに直面せざるを得ないのである。

ベルクソンが批判したのは、ヨーロッパ的形而上学に根強く残存している、いわゆる実体論的思考であったと言ってよいのかもしれない。

プラトン以来のヨーロッパ的思考体系のなかには、「イデア」からカントの「物自体」や、ヘーゲルの「精神」に到るまで、ヨーロッパ的思考体系のなかには、常に、実体化された不動の「存在」が前提として与えられており、これはどうしても消し去ることの出来ない前提なのであろう。

ベルクソンは、そのような存在を否定する。

ベルクソンにとって、変化、運動こそが実在であり、精神や物質というような「物」は、変化や運動が残した影に過ぎないのだろう。

小林秀雄は、『アシルと亀の子』と題する文芸時評を、第6回目で『文学は絵空ごとか』という題に変えてしまっており、以後、1回ごとに題は変えられることになるのだが、小林秀雄は、『アシルと亀の子』という題名を変更したことについて、『文学は絵空ごとか』のなかで、

「毎月、『アシルと亀の子』なんて同じ題をつけているのは芸がないから取りかえろと言われて、なるほどと思い、偶々、正宗白鳥氏の文芸時評を読んでいたら、文学はついに絵空ごとに過ぎぬという嘆声に出会ったので、今月は、多くを語りたい作品もなかったし、ただわけもなくこんな表題をつけてしまった。
だが私にとっては依然として、アシルは理論であり、亀の子は現実である事に変わりはない。
アシルは額に汗して、亀の子の位置に関して、その微分係数を知るだけである」
と述べている。

『アシルと亀の子』という題名によって小林秀雄は、理論(アシル)が現実(亀の子)に追いつけないことを言いたかったのだろう。

無論、それは、理論そのものが誤った観念の上に成立した理論だからではなく、それは理論というもの常に内包する矛盾だろう。

実際的な経験の世界では、アシルが亀の子に追いつくことを、私たちは、知っているのだが、それを、理論的に説明しようとするとき、アシルは亀の子に追いつけなくなってしまうのである。

ベルクソンによれば、それは理論が、運動を運動として捉えるのではなく、運動を空間のなかで、空間化して捉えようとするからであり、分割不可能な運動を分割可能な空間の1点として捉えようとするからである。

しかし、私たちは、日常生活において、時間を空間のなかで数量化して考え、運動を空間的な点の集合として考えることに慣れきっている。

私たちが、常識として信じ込んでいる考え方は、一種の空虚な観念論に過ぎないということを、ゼノンのパラドックスは教えているようである。

時間を空間的な量として考え、運動を空間のなかで数量化して考えている限り、ゼノンのパラドックスを避けて通ることはできないだろう。

つまり、そのような常識に依拠している限り、「運動は存在しない」という奇怪な結論に辿り着かざるを得ないのであろう。

しかし、実際には、ゼノンのパラドックスを信じる人はおらず、アキレスが亀に追いつくことは自明であり、運動が存在することも自明なことである。

人はいつもこの理論と現実の矛盾をほとんど感じることはないが、それは、人が都合の良いときだけ理論を信用し、都合が悪くなると現実を信用するという、論理的な不徹底のなかで生活しているからか、まったく理論的な分析や説明と無縁に、直接的経験のなかで生きているからではないだろうか。

小林秀雄が、文芸時評の題として「アシルと亀の子」を選んだのは、ベルクソンの影響であると同時に、小林の主な関心が、理論(アシル)と現実(亀の子)の矛盾という点にあったからであろう。

小林秀雄は、新しい理論によって、新しい解釈を提出したのではなく、彼が提出した問題は、理論と現実が一致することは決してあり得ないという、理論的思考そのものの不可能性という問題であった。

小林秀雄のベルクソン論である『感想』は、量子物理学の説明が終わったところで中断している。

小林秀雄も、もうそれ以上先へ進むことは出来なかったからであり、彼は『感想』の第53回目のなかで、

「それなら、ハイゼンベルクが衝突したのは、あの古いゼノンの、ベルクソンがそのソフィズムに、哲学の深い動機が存する事を、飽くことなく、執拗に主張したゼノンのパラドックスだったと言って差し支えない
と書いている。

小林秀雄は、ハイゼンベルクが量子物理学で直面した矛盾が、ゼノンのパラドックスに他ならないと言っており、これにより、小林秀雄が「物理学」にこだわった理由が理解できるように思われる。

小林秀雄にとって、「物理学の革命」もゼノンのパラドックスの中にあり、それに対するひとつの解答が量子物理学だということになるのではないだろうか。

小林秀雄が、「アシルと亀の子」という題名に込めた「アシルと亀の子」は主として、マルクス主義に対する批判がテーマであったが、そのマルクス主義批判は、極めて根底的な批判であったといってよいだろう。

そして、それは、理論的な思考そのものの批判であったということができるだろう。

ただ、小林秀雄は、その批評で、絶えず理論的な思考を批判したかのように見えてしまうが、実際は、中途半端な理論を批判しただけであり、理論に対して現実の優位性を説いたわけではないだろう。

小林秀雄が、マルクス主義や科学主義に対して、激しい批判の論陣を張ったのは、それが科学的思考であったからではなく、それが科学的思考に矛盾するから、あるいは、中途半端な科学でしかなかったから、批判したように、私には、思われるのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

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についてですが、私は、最近、大岡昇平にシンパシーのようなものと尊敬の念を感じ、また、励まされています😊
闘病とはまた異なるものの、過酷な状況下、生き死にや「人間」の問題に直面しながら生き延び、それを昇華した姿勢に学ぶことが多いです😌

ちなみに、大岡昇平の変化や戦争ではない変化のきっかけについては前に日記のなかで、描いております😊

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。