おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

物理学における「パラダイムの転換」という事実を通して、マルクスにおける「パラダイムの転換」を読んだ小林秀雄-小林秀雄と理論物理学について②-

2024-10-18 06:56:10 | 日記
小林秀雄という文芸評論家が、理論物理学に熱中していたという事実を知ったとき、非常に驚いたことを、私は、いまだに覚えている。

小林秀雄が、ランボーやドストエフスキーに熱中することは自然であり、モーツァルトやセザンヌやゴッホに熱中することも理解できるように思うが、理論物理学に熱中していたということは、なかなか理解の出来ないことのように思われたのである。

なぜ、理論物理学なのか。

何が、小林秀雄と理論物理学を結びつけたのか。

小林秀雄にとって理論物理学とは、どのような意味を持っていたのであろうか。

これらの問題を考えるとき、小林秀雄の著作から一貫して流れる「主調低音」のなかに、小林秀雄における「知的クーデター」とでも呼ぶべき、思考様式の革命という問題が、聞こえてくる。

小林秀雄は、文学の世界で小説のパラダイムから、批評のパラダイムへのパラダイムチェンジを生きた人であり、このパラダイムチェンジは、理論物理学の世界における「古典物理学」のパラダイムから、「相対論」や「量子論」のパラダイムへの変換とほぼ並行するものだろう。

小林秀雄の批評は、アインシュタインの「相対性理論」の出現と、ハイゼンベルグたちの「量子物理学」の出現とに代表される、かつてない大きな20世紀の「科学革命」という歴史的状況の中から生まれてきたものであるように、私には、思われる。

したがって、「批評家小林秀雄」の誕生という、近代日本文学史上の大きな出来事もまた、文学の内部ではもちろん、外部で起こった出来事のようにも、思われるのである。

小林秀雄は、物理学という先端の科学を知りながらも、敢えて、科学かぶれの科学主義者としては振る舞わなかったので、小林の批評はわかりにくい点がある、と、言われてしまうのかもしれない。

小林秀雄が量子物理学に興味を持つに至っだ理由は、アインシュタインにみられるような、理論物理学における「矛盾」をも恐れない過激な思考力の展開のためではないだろうか。

つまり、その学問の成立根拠を否定し、解体することをも恐れない「物理学」における革命的な情熱に対して、小林秀雄は、心動かされたのではないだろうか。

アインシュタインをはじめとして、一連の「物理学の革命」の推進者たちは、単に科学的だったわけでも、科学主義的だったわけでもなく、ただ徹底して考える人であり、小林はそこに興味を持ったのではないだろうか。

小林秀雄は、よく、非合理主義者であり、反科学的な思索家と思われることがあるが、それは、「科学主義」的でなかったことが影響しているのであろう。

だからこそ、「批評家小林秀雄」誕生のドラマが、20世紀初頭の「物理学の革命」のドラマと密接な関わりがあるとは、思われず、小林秀雄と理論物理学という問題は、あまり問題にされていないようである。

しかし、実際にこれは極めて重要な決定的な意味を持つ問題であったのである。

小林秀雄という批評家の思考様式は、「物理学の革命」が在ることを抜きにして、解明することは出来ないだろう。

たとえば、小林秀雄は数学者岡潔との対談である『人間の建設』のなかで、執拗に理論物理学に言及しているのだが、小林は、
「新式の唯物論哲学などといものは寝言かもしれないが、科学の世界では、なんとも言いようのないような物質理論上の変化が起こっているらしい」
と述べている。

つまり、小林秀雄は、「物理学の革命」の問題を「物質理論上の変化」として、正当に、しかも原理的に受け止めているのである。

小林秀雄の思考スタイルに決定的な影響を与えたものは、物理学における
「なんとも言いようのないような物質理論上の変化」であったのではないだろうか。

つまり、近代物理学(ニュートン的古典物理学)から現代物理学(相対性理論、量子力学)への変換がもたらした物質観、存在観の変容という「物理学の革命」の問題が、小林秀雄の力強く、断定的な批評を可能にしたのではないだろうか。

小林秀雄の自信に満ちたマルクス主義批判を可能にしたのも、この「物理学の革命」に対する意識であろう。

「物理学の革命」という見地から見れば、新式の唯物論哲学も、古くさい古典物理学に依拠した「科学主義」にしか見えなかったのであろう。

したがって、小林秀雄は、マルクスを巧みに利用はしたが、マルクスの理論を基にして、その批判理論を確立したわけではない。

小林秀雄がマルクスを巧みに利用したのは、マルクス主義やマルクス主義的文学運動を批判するための必要からであったようである。

小林秀雄は、マルクス主義やマルクス主義的文学運動は批判しているが、マルクスおよびマルクスの思想そのものを批判はしていない。

逆に、マルクスの思想は「正しい」と言い切っている。

たとえば、大学時代の小林秀雄について、中島健蔵は、小林秀雄全集の付録におさめられたエッセイである『バラック時代の断片』のなかで、

「三年のころには、小林秀雄とも時々話をするようになったが、彼の態度ははっきりしていた。
左翼思想について、こちらが割り切ることができず、もたもたしていると、彼は、こんなことをいった。
『マルクスは正しい。
しかし、正しいというだけのことだ。
それはなんでもないことだ。』
わたくしには、小林の言葉の意味がよくわからなかった。
大ていの芸術派は、マルクスを否定していたが、小林は、あっさりと、『マルクスは正しい』という」
と述べている。

小林秀雄にとって、マルクスの提起した問題は、ある意味では、既に解決済みの問題であったようである。

つまり、小林秀雄は、既に、「物理学の革命」という問題、つまり、新しい物質理論であり、科学理論に影響を受けていたようなのである。

たとえば、小林秀雄は『アシルと亀の子』のなかで、マルクスの思想を要約して、

「マルクスの分析によって克服されたものは経済学に於ける物自体概念であると言える。
与えられた商品という物は、社会関係を鮮明にする事に依って、正当に経済学上の意味を獲得した。
商品という物の実体概念を機能概念に還元する事に依って、社会の運動の上に浮遊する商品の裸形が鮮明された」
と言っている。

この「実体概念」から「機能概念」への転換は、実は「物理学の革命」においても起こったことである。

つまり、「物」を中心とする古典物理学が「場」を中心とする相対性理論や量子論によって克服されてゆく物理学の革命という事実から、小林秀雄は、この転換を学んだのであろう。

吉本隆明や柄谷行人たちにより、マルクスの読み方においては、マルクス主義者たちよりもむしろ小林秀雄の方が正しい読み方をしていた、と言われているが、それは、小林秀雄が物理学における「パラダイムの転換」という事実を通じて、マルクスにおける「パラダイムの転換」を読むことが出来たからではないだろうか。

「マルクスは正しい」と言いきれる小林秀雄は、マルクス的認識の一歩先を歩んでいたようである。

マルクス主義の崩壊は、直接的には、権力の弾圧によって起こったが、それだけではなく、マルクス主義が、科学を自称しながらも、十分に科学的ではなかったから、崩壊したのかもしれない。

また、ロシア・マルクス主義的な唯物論にあっては、長い間、アインシュタインの相対性理論は、科学理論として認められていなかったようである。

それは、アインシュタインの理論が、マッハ哲学の影響下に誕生したためであろう。

レーニンが『唯物論と経験批判論』でマッハを徹底的に批判しているという時代背景からもわかるように、マルクス主義者たちは、マッハ哲学を認めないのと同時に、アインシュタインの「相対性理論」をも認めようとしなかったのである。

マルクス主義が、20世紀の科学革命を無視した上で、「科学」ではなく、単なるイデオロギーであることが明らかになったとき、マルクス主義の力は急速に衰弱したのだろう。

小林秀雄は、湯川秀樹との対談『人間の進歩について』のなかで、

「二十世紀の科学の大革命が一般思想の上に大きな影響を与えたという事は承知していますが、何しろ事がいかにも専門的なものでね」
と述べた上で、
「ブルジョア文学者は偶然論がどうのこうのと愚にもつかぬ文章を書いていた。
左翼文学者は、政治にばかり目を奪われて一向科学なんかに好奇心を持たぬ。
古くさい唯物論をかかえて最近の科学の進歩はブルジョア的であるなどと言っておりました」
と述べている。

日本のマルクス主義者たちも、科学に興味を持っていたし、また科学的であることをその思想や文学の根本においておさえていた。

しかし、マルクス主義者たちが、マルクス主義という「科学」に固執していたのに対し、小林秀雄は、「科学そのもの」に直接、接近していったのである。

小林秀雄は、自然科学、とりわけ物理学が絶対的に、客観的な真理を体現しているとは思ってはいなかったようである。

小林は、むしろ、物理学がいかに基礎論という部分では、不安定な、相対的なものでしかないか、という点に目を向けていたように私には、思われる。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。