小林秀雄の文学批判にもっとも敏感に反応した文学者のひとりである三島由紀夫がいるだろう。
もし、三島由紀夫の悲劇というものが語られるとするならば、それは、小林秀雄の文学批判以後において、再び文学を再建しようとして、ついに文学の再現に成功したかに見えた、まさにその瞬間に、文学とともに自滅せざるを得なかった作家の悲劇ということもできるかもしれない、と、私は思うことがある。
ところで、三島由紀夫は、その名声あるいはその研究や解釈の量の多さに比して、批評らしい批評が少なかったことは極めて驚くべきことではないだろうか。
少ない例外のひとつに、磯田光一の『殉教の美学』があるが、それも、言ってしまえば、あまりにも三島の発言に忠実でありすぎるために、批評としてというよりは、研究や解釈の次元にとどまっており、磯田光一にも三島由紀夫が認識していた以上のものは見えていないようにも思われてしまうのである。
批評は、文学研究や作品の解釈とは少し異なり、文学作品の解釈を重要な要素として内包しているが、それにとどまるものではないのではないだろうか。
研究や解釈は「文学」を前庭としており、決して文学そのものの「根拠」を問うことはしないが、批評とは、まさに文学の「前提」を問う作業によって、はじめて成立した文学的形式であろう。
1990年代には、文芸評論の行き詰まりや、文芸評論の衰退が言われていたが、その原因のひとつには、文芸評論家、つまり批評家が批評を文学研究や作品解釈の領域に閉じ込めてしまったことがあるようである。
小林秀雄においてそうであったように、批評は、文学の内部の問題ではなくて、文学の基礎の問題であり、文学の外部との関係のなかにしか発生しない問題ではないだろうか。
批評は、作者の発言を寄せ集め、それに論理整合性を与えて、ひとつの思想体系にまとめあげることではなく、批評もまた、もうひとつの創造行為であろう。
作家の創造行為を解釈したり、鑑賞したりすることだけが批評ではないだろう。
三島由紀夫論を研究や解釈の対象としてまつりあげてしまい、完全無欠な偶像と化さしめているところに問題があるように、私には、思われる。
私たちは、三島由紀夫という作家とその作品を自明の価値として前提してしまっており、たとえば、その政治活動や政治思想に疑問を持つとしても、その作家としての才能や、その作品の文学的価値は誰にも否定しようがない、と思いがちであるが、三島由紀夫という作家は、それほど安全な作家、自明な作家なのだろうか。
中村光夫は、三島由紀夫が、無名に近い時代に、その作品原稿を読んで、
「これはマイナス百五十点」
だ、と言ったそうであるが、中村光夫(→のちに三島肯定論に転向するにしても)の、プラス百点でも、零点でもなく、「マイナス百五十点」の意味するものは大きいように思われる。
「マイナス百五十点」という中村光夫の評価は、三島由紀夫の文学が、文学という尺度からはみ出し、極めて微妙な位置にあることを意味しているのではないだろうか。
あるひとつの立場から見れば、マイナスになるかもしれないが、もうひとつの別の立場から見ればプラスになるかもしれないような位置に三島由紀夫の文学はあり、私たちにきわめて厳しい態度決定をせまっているということができるだろう。
私たちは、自らの立場をさらけ出すことなしに、三島由紀夫を読むことは不可能であり、三島由紀夫を読むということは、危険な作業なのだろう。
このことに関連して本多秋五は『物語戦後文学史』のなかで、
「三島由紀夫はそれまでの日本文学にとって、ぜんぜん異質の文学者であった」と書き、また、
「もし『近代文学』が最初から三島由紀夫を理解したら、『近代文学』というものは、存在しなかったろう」
とも書いている。
つまり、本多秋五は、三島由紀夫の文学を認めることは、本多たちの「近代文学」派の否定を意味する、と言っているわけであるが、ここで問題なのは、三島由紀夫という作家の存在の特異性であり、私たちが三島由紀夫を読むということは、その存在の特異性、その作品の解釈を詠むことであろう。
三島由紀夫の問題は、小林秀雄の「批評」なしに考えられないと、私には、思われる。
小林秀雄の「批評」とは、文学批判であり、文学の否定でもあった。
三島由紀夫は、小林秀雄による文学の批判以後において、再び、文学を再建しようとした人であったようである。
ここに、三島由紀夫という作家の問題を解く糸口があるのではないだろうか。
小林秀雄の「批評」を考えるとき、批評ということばが、危機ということばと同一の語源を持っていることを、私は、想起する。
批評は、危機という紋題とどこか関連しているようである。
もし、批評が、単なる文学研究や、作品の解釈でしかなかったならば、そこには危機という問題は介在する余地はないだろう。
批評という問題が、日本の文学史の上で、問題として登場したのは、小林秀雄の出現によってであろう。
江藤淳は、『小林秀雄』のなかで、
「小林秀雄以前に批評家はいなかった」
と書いているが、私には、この指摘は正しいように思われる。
なぜなら、小林秀雄以前の批評家たちには、危機という問題が欠如しているように見えるからであり、文学というものに対する根本的な懐疑、言い換えれば、文学に対する危機意識というものを持ち合わせていないように見えるからである。
小林秀雄以前の批評家たちは、文学というものの成立根拠や、あるいは、その存在基盤の普遍性を決して疑わなかったようである。
批評家小林秀雄の誕生により、はじめて批評という問題が近代文学の言説空間に出現したということは、小林秀雄の批評が、文学批判に他ならなかったことを示してはいないだろうか。
つまり、近代文学の成立根拠としての近代的世界認識の地平に対する危機意識の自覚こそが、批評家小林秀雄を生み出したのではないだろうか。
さらに言い換えれば、小林秀雄の出現によって、日本の近代文学は、はじめてその存立の危機に直面することになったのではないだろうか。
いかなる意味においても、小林秀雄は、近代文学の理論的イデオローグではないし、また、近代文学の研究や解釈を行った人でもない。
ウォルター・ベンヤミンのことばでいうならば、小林秀雄は、コメンタール(解説)の人ではなく、あくまでもクリティーク(批評)のひとであったのだろう。
小林秀雄の「批評」が生まれた背景について、小林は『伝統と反逆』のなかで、
「僕らは現実をどういう角度からどういう形式でもって眺めたらいいかわからなかった。
そういう青年期を過ごして来た。
僕なんかが小説が書けなくなったその根本理由は、人生観の形式を喪ったということだったらしい。
例えば恋愛すると滅茶々々になっちゃったんだよ。
そんな滅茶々々な恋愛は小説にならねえから、あたしァ諦めたんだよ。
諦めてね、もっとやさしい道をすすんだのか何だかかわからないけど、もっと抽象的な批評的な道を進んだのだよ。
抽象的批評的言辞が具体的描写的言辞よりリアリティが果たして劣るものかどうか。
そういう実験にとりかかったんだよ。
これは僕らの年代からですよ。
それまでには、ありァしません。
その前のリアリズムというものは、僕らの感じた暴風雨みたいなリアリズムじゃないよ。」
と言っている。
小林秀雄の批評は、言語表現上の危機意識に他ならず、近代的な認識論的布置の解体と転換の自覚以外ではないだろう。
小林秀雄が、
「小説が書けなくなった」
というのは、それまでの文学的な表現形式をそのまま模倣・反復することが出来なくなった、ということであろう。
小林秀雄の出現によって、多くの作家が沈黙を余儀なくされたと言われるが、それは小林秀雄の批評が、小説という表現の形式を壊し、文学という形而上学をその根底から覆すような危険な要素を持っていたからではないだろうか。
つまり、小林秀雄の批評は、文学という形而上学の前庭としての近代的世界了解の認識論的構図への批判であったのだろう。
たとえば、柄谷行人は、日本近代においては、ヨーロッパ文化圏において「哲学者」が担っている役割を「文芸評論家」が担ってきた、と、言っている。
少なくとも、小林秀雄以後の批評的伝統は、単に文学というひとつのジャンルに限定できるようなものではなく、小林秀雄以後の評論は、良かれ悪しかれ文学というジャンルを超え出ているようである。
小林秀雄の出現によって確立された批評的空間は、単に作品の解釈や研究としての批評とは違った、原理的な批評を可能にしたようである。
ところで、小林秀雄によって批評として自覚された問題は、文学や文学作品の問題でありながら、単にそれにとどまるものではなかったように見える。
それは、誤解を恐れずに言うならば、認識の問題であったようにも、思われる。
ただ、小林秀雄の場合、文学的問題の追求を通して、その結果として認識の問題に触れたというだけだかもしれないが、それは、実は、極めて大きな出来事ではないだろうか。
日本の近代史において小林秀雄が果たした役割は、たとえば、中世スコラ哲学を批判したデカルトや、あるいは経験論と合理論をともに批判したカントのそれに近いものであったように、私には、思われる。
デカルトもカントも、いわゆる伝統的な形而上学を批判、解体したひとである。
たとえば、カントの形而上学批判の仕事をふまえて、
「カント以後において形而上学はいかにして可能であるか」
という問題が、カント以後の哲学界のテーマとなったが、同じく、小林秀雄の場合にも、小林秀雄の文学批判の仕事をふまえて、
「小林秀雄以後において文学はいかにして可能であるか」
という問題が、小林秀雄以後の文学的な中心テーマとなったのではないだろうか。
たとえ、それが十分自覚されることがなかったとしても、私たちが、この問題から自由であったはずはないだろう。
冒頭で触れたが、小林秀雄の文学批判にもっとも鋭敏に反応した文学者のひとりである三島由紀夫について、次回から考えてゆこうと思う。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございました。
昨日は、日記を休んでしまいました😅
日曜日は、外出する際、母からもらった洋服を着ました😊
意外に世代の超える洋服で嬉しかったです😊(外出前に母の撮影)→→→
今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。