おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

小林秀雄がいう「本物の思想家ならどんな思想家にもあるもの」としての「矛盾」-小林秀雄と理論物理学について①-

2024-10-17 07:04:22 | 日記
小林秀雄のデカルト解釈は、そのまま、小林秀雄自身の思考のスタイルについても当てはまるように、私には、思われる。

小林秀雄は、デカルトについて『常識について』のなかで、

「合理主義者デカルトという言葉は、実に怪しげな、というより万事につけ高をくくりたがる人々の好む嫌な言葉です。
彼は、出来るかぎり合理的に考え、合理的に生きようと努めた人であったが、これは、彼が合理主義者であったことを意味しはしない」
と述べているのだが、小林秀雄もまた、「出来るかぎり合理的に考え、合理的に生きようと努めた人」であったのではないだろうか。

それが、結果的に、世間ら、合理主義と呼ばれようと、非合理主義と呼ばれようと、問題ではなかったのかもしれない。

私たちは、しばしば、矛盾に直面しない思考が合理的思考であり、矛盾をはらむ思考は非合理的思考である、と思い込んでいるが、これは逆であろう。

例えば、ポアンカレは、今日の記号論理学の基礎を築いたラッセルが、カントールに始まる集合論のなかに、自己自身を含む集合のパラドックス、いわゆる「ラッセルのパラドックス」を見出したとき、(→ポアンカレ自身はしばしば数量論理学の非生産性を攻撃していたにも関わらず、)
「もはや、それは非生産的なものではない、ちゃんと矛盾があるではないか!」
と大喜びで叫んだといわれている。

「ラッセルのパラドックス」の出現に、フレーゲが「代数はぐらついているのだ」と、途方に暮れたのに対して、ポアンカレは、大喜びで矛盾の発見を讃えたのだが、それは、矛盾の発見が論理学に新しい地平をもたらすであろうことを確信したからではないだろうか。

これまで、「非合理主義者」、「独断家」と言われることも少なくなかった小林秀雄だが、文学や思想の世界において、小林秀雄は、極めて合理的な思索家であり、さらにいえば、過激なまでの合理主義者でさえあるように、私には思われる。

また、合理主義者としての小林秀雄の思考の問題を考えるとき、小林秀雄が、非合理主義者または独断家と言われるのは、小林秀雄の合理主義が、いわゆる合理主義という世界的地平を容易に突破するような、ラディカルな合理主義であるからであるように思われる。

さらに、真の合理主義は、合理主義というイデオロギーに安住することは出来ないし、真の合理精神は、合理主義をもひとつの非合理主義として断罪するにいたるのではないか、と思われるのである。

無論、小林秀雄が、合理的な思索家であることは、小林秀雄の思考に矛盾がないということではないし、小林秀雄ほど矛盾に満ちた文学者もあまりいないであろうが、それは、小林秀雄が合理的でなかったから抱え込んだ矛盾ではなく、小林が、矛盾に逢着することも恐れぬほどの合理主義者であったからこそ逢着した矛盾であろう。

小林秀雄は合理主義に甘んじるにはあまりにも苛烈な合理的精神の所有者だったのかもしれない。

合理主義者とは、合理主義という思考のパラダイム、言い換えれば、思考の歴史的制度から抜け出せない人のことを指すのかもしれない。

思考の合理性は、ときに、思考の合理的体系を突破し、解体せしめるように機能するのだろう。

矛盾に直面しない思考が合理的なのではなく、徹底して合理的な思考は矛盾を避けられないことを考えると、小林秀雄が本居宣長について、江藤淳との対話『歴史について』のなかで、

「言うことが矛盾しなければならんように、その人は、それだけ深く考えていたということだってある。
もう少し手前で考えを止めれば、なにも矛盾しなくてもよかった。
そういうことだってある。
考え詰めると矛盾が起こる、そういう構造が頭脳にある、そう考えたっていい。
宣長は、自分で知っていてやったんですよ。
馬鹿だから矛盾したわけじゃない。
あの人は、非常に明瞭な露骨な形で、矛盾を表したけれども、これは本物の思想家ならどんな思想家にもあるものなんです」
と述べていることが、実に興味深く思われる。

ここで、小林秀雄は、「矛盾」を肯定的に把握しているようであり、また小林秀雄の特異性は、この「矛盾」の考え方の特異性にあるようである。

しかし、小林秀雄がここで語っていることは、さほど風変わりなことではなく、数学や論理学、そして物理学などの分野においては、自明なことであろう。

矛盾の発見が、新しい知的革命をもたらし、矛盾の発見が、学問の発展を推進するこれらの分野では、先に述べた「ラッセルのパラドックス」の場合のように、そこから20世紀の数学や論理学の最も重要な部分がはじまったようである。

このパラドックス、つまり「矛盾」を解決するために、形式主義、論理主義、直観主義という新しい数学が始まり、同じように物理学における相対性理論や量子論もニュートン的な古典物理学のなかに矛盾を見出し、その矛盾を解決することによって確立されたのではないだろうか。

ヘーゲルも、『哲学史講義』のなかで、弁証法が「ゼノンのパラドックス」から始まったといっている。

このように、「矛盾」は一概に否定されるものではなく、むしろ「矛盾」は、小林秀雄が言うように「本物の思想家ならどんな思想家にもあるもの」ではないだろうか。

小林秀雄は、「矛盾」に逢着することにより、「小説家小林秀雄」に挫折したが、その「矛盾」を生きることによって、「批評家小林秀雄」が誕生したのだろう。

さて、「矛盾」に逢着することをも恐れない合理主義者である小林秀雄の逢着した「矛盾」とは、単なる文学の領域のなかだけの矛盾では無いようである。

小林秀雄の逢着した「矛盾」は、ニュートン的古典物理学が19世紀末に逢着した矛盾と同じ種類の矛盾、つまり、ニュートンに始まる古典物理学がアインシュタインの相対性理論によって相対化され、さらにハイゼンベルグやニールス・ボーアらの量子物理学によってその根底を脅かされた、いわゆる20世紀の科学革命を通底する「矛盾」ではないだろうか。

小林秀雄は、科学者ではないし、小林秀雄自身がその矛盾を発見したわけではないが、私たちは、小林秀雄と物理学の関係を、単なる類似性だけで語れはしないし、小林秀雄の批評が偶々、物理学の問題と同じような問題を内包していただけだと言うことなど出来ないであろう。

小林秀雄の思考の基礎的な部分には、物理学が在り、その批評の強さもそこに在り、私たちは、小林秀雄的な思考を辿る際、この物理学の問題を避けることは出来ないようなのである。

小林秀雄の用語や文体を模倣する人たちが、小林秀雄になることが出来ないのは、小林秀雄が物理学のなかに見出した理論的なものの徹底性が欠如しているからかもしれない。

小林秀雄のベルクソン論である「感想」は、「新潮」の昭和33年5月号から昭和38年6月号までの合計56回におよぶかなりの長辺である。

ベルクソンの『物質と記憶』における物質論の延長上として、49回目から物理学の問題が前面に出てくる。

ベルクソンもまた、科学や物理学と深い関わりを持った哲学者であるため、小林秀雄がベルクソン論である「感想」のなかで、物理学の問題に言及することはごく自然なのだが、小林秀雄の物理学に対する分析はやはり大きな意味を持っているように思われる。

小林秀雄が「感想」のなかで、物理学の問題に論を進めたのは、ベルクソンという哲学者が、物理学の問題と深い関係にあり、その哲学的思索において、絶えず「科学」を論じ、「科学」を分析・解明してきた哲学者だったからであろう。

ベルクソン哲学は、「科学批判」の哲学であると言うことが出来、また、ベルクソンは、科学における思考は、分析的・空間的思考であり、それにかわって、直観による持続の認識が哲学の思考であると考えたようである。

ベルクソンは、近代科学の成功により一般化した、分析的・実証主義的な思考を批判し、科学に対して哲学の復権を主張した哲学者であり、科学の成功やその成果を十分に認めた上で、批判するにあたり、徹底して科学を研究し、科学を自分のものにしようとした哲学者である。

ベルクソンには、アインシュタイン論である『持続と同時性』があるが、アインシュタインの批判を受けたことなどから、絶版にしてしまっている。

小林秀雄が、ベルクソン論である『感想』を未完のまま打ち切りにし、本にして出発することも、全集に入れることもしなかったことと、奇妙な一致を示しているようだが、このことについて小林秀雄は、ベルクソン論である『感想』のなかで、

「今世紀に這入って始まった科学の急激な革命は、恐らくベルクソン自身にも驚くべき事だったのであり、そこからアインシュタインの『特殊相対性理論』に関するベルクソンの誤解、つづいて、自著『持続と同時性』の絶版が起こったが、これについては、いずれ触れねばならない。
当面の問題は、彼の予想の或る意味での的中なのだが、これは、『一般相対性理論』がもたらした純粋に幾何学化された世界像、世界の構造の、誰も予想しなかった計量的完成、ベルクソンの言う、『ニュートン力学の前進が、遂に到達した、デカルトのメカニズムの完全な証明』を超えたところにあったからだ」
と述べている。

ベルクソンが念頭に置いていた「科学」は、主として近代科学といわれるものであり、いわゆる20世紀の科学革命を含んではいなかったようである。

ベルクソンが、当時起こりつつあった「物理学の革命に深い関心」を寄せることは自然なことかもしれない。

ベルクソンの予想をはるかに超えるような革命が、物理学の世界に起こった事実は、小林秀雄が言うように、ベルクソンの予想が的中したといえるかもしるないが、それだけではないようである。

小林秀雄は、ベルクソンを通して、また、小林独自の仕方で、物理学に接近していったようであるが、詳しくは次回以降に描こうと思う。

また、次回以降、小林秀雄と理論物理学の深い結びつきが、何を意味しているのかをも、考えてみたいとも、思っている。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

最近は、矛盾にぶつからない思考が合理的なのではなく、矛盾にぶつかることを恐れない思考が合理的なのだ、と、考えるとき、矛盾に直面しない思考は、中途半端思考であり、矛盾することを恐れて、問題回避した思考なのだ、と考えることが出来、頑張れるように、思えています😊

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

*見出し画像は銀座のUNIQLOで最近撮ったものです😊