雷と走る / 千早 茜

2024年10月24日 | た行の作家



カバーの絵は日本画家の入江明日香さん。
入江さんの個展を観たことがありますが、力強くて豪華でそれでいてとても繊細で、ずーっと見ていられるくらいそれはそれは魅力的です。
なので、この本のことを知った時、早く読みたい!!!と思いました。

図書館で出会えるのはいつだろうととても楽しみにしていました。
それが、こんなに早く出会えるなんて。
ありがたいことです。

話は変わりますが、去年の梅雨の頃、我が家の庭に猫が頻繁に入り込み、有り難くないお土産を置いて行きました。私は毎朝それを片付け、「もういやだ!!!」となり、出入りできる箇所にネットを張りました。ところが猫は私より上手。
どこからか侵入してきて、私が追い払うと狭いフェンスの間から2mくらいの高さをもろともせずに飛び降りて行きました。

そして、我が家に動物が嫌いな音を出して目を光らせる「番人君」がやってきました。番人君のお陰なのかその後庭と私は平和です。

今思うと、ネットを張り巡らした家ってまるで檻、私はまるで檻の中の住人?…(^^;)

この物語は「番人君」ではなく「ガードドッグ」と呼ばれる番犬と飼い主のお話です。
いつ人間が襲いにやってくるかわからない異国の地の、人間を守るための異国の犬。檻の中の飼い主のまどかさんを守るために雷のように走る犬、それが「虎」です。

人間を人間から守るために犬を利用する…。なんだかな~と思ったりしますが、日本でも犬を飼うといえば番犬として、昔そういう時がありました。

人間の世界は経済力軍事力等々いろいろありますが、犬同士の世界もいろいろあって、犬世界がこの物語を深めて行きます。

犬が雷になる、つまりまどかさんを守らなくてはならない時、そのエネルギーの源は怒りなのでしょう。
それならば、人も雷になる時があって、人の心は一匹の雷犬を飼っている、ようにも思えます。
まどかさんがパトロールと称して走るのは、怒りを鎮めるため、発散させるためのようにも思えて、
つけさせなかった首輪とつけようとしている指輪、信頼はどっちなんだろうと思ったら、
まどかさんはいつか虎になるのではないか?と
まどかさんが虎になるのを期待してる私もいたりして、
私の心の中の虎を見つけたようにも思えて、
本当に怖いのは、やっぱり人間?

それでも私はまどかさんが虎に雷になる物語を読みたい。



<本文より>

*「それはブラックマンバだね。猛毒だよ。狩りの習性のある犬はね、自分たちが敵わない相手のときは人間を呼ぶんだ」


*もう二度と私の犬に会えない。
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マリエ / 千早 茜

2024年09月08日 | た行の作家
先日読んだ千早茜さんの「グリフィスの傷」が読み応えがあったので、また彼女の描く物語を読みたくなりました。

「マリエ」は香水の名前、そして主人公の名前は「桐原まりえ」。
どんな匂いか気になりますよね。
「繊細なマリッジブーケをイメージして作られて香り」、と物語の中では説明されています。

まりえさんはこの香りを離婚の手続きの後に買って物語は始まります。

そもそも何故離婚したのか?については謎です。
夫の藤崎さんが「恋愛がしたい」と切り出し、まりえさんがそれに応じたという形ですが、ふたりとも本心は別のところにあるように思えます。

私は、夫の「恋愛がしたい」は、まりえさんの反応を探りたかった故の言葉のような気がします。
本当は「子供がほしい」だったのかも?なんて思って
まりえさんも本当は「子どもを産みたい」なんじゃないかな?

だから、揺れるのでしょう。

結婚するのかしないのか、子供を産むのか産まないのか、結果はわからないまま物語は終わります。

どの道を選んでも、まりえさんはまりえさん。
名の通った会社で仕事をこなし、清潔な明るい部屋に住んで、おいしいものを作って食べて、お気に入りの香水を買ったり、お酒を飲みながら愚痴る相手もいるし、先輩や友人にも恵まれている…もうすでにうらやましい幸せを手にしています。

十分幸せじゃん!!
って今思って
ああ、だから揺れるのねって気がつきました。

揺れるところは、そこしかないのだから。


<本文より>
そうなのだ、人は役割に流されて欲しいものや本当の気持ちを忘れていく





千早茜さん、嵌りそうです。
また読みたい!
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グリフィスの傷 / 千早 茜

2024年09月01日 | た行の作家



「竜舌蘭」
クラス全員からの無視されていた時に道路わきの竜舌蘭の棘で太ももを切った女性の物語

「結露」
浴室の蛇口で腰に縫うほどの傷を負った女性と彼との物語

「この世のすべての」
男性から受けた暴力によって男性恐怖症になった女性と近隣に住む男性との物語

「林檎のしるし」
湯たんぽによる低温熱傷の既婚男性とその男性をちょっと好きな女性の物語

「指の記憶」
大学生の時バイト先の工場で指を切断してしまった男性とその指を拾い集めてくれた男性の物語

「グリフィスの傷」
自ら自分の腕を傷つける女性とSNSのコメントで彼女を傷つけてしまった女性の物語

「からたちの」
夫の不倫相手から殺されそうになった女性と傷跡を描く画家の戦争をはさんだ物語

「慈雨の」
子ども、兄妹、姉妹、不本意にも傷を負わせてしまった家族の後悔の物語

「あおたん」
美しい顔を持ちながらそれが不幸の原因と思う女性と入れ墨をした男性の物語

「まぶたの光」
先天性眼瞼下垂の手術をした女子中学生と女医の物語


傷をテーマにした短編集。

「グリフィスの傷」とは、ガラスについている目に見えない傷のこと。
ガラスはその目には見えない無数の傷でなにかの衝撃を受けると割れてしまうのだとか。ガラスの宿命みたいなもの?

この本に描かれた無数の傷がとても痛々しいのに、愛しいとも思えて、
傷なのに?と思ってみたり。
私の身体にも転んだりしたときの傷があちこちにあって、それもかわいくさえ思えて。

じゃあ、心の傷は?
と考えてみたら、かわいいとか愛しいとかは全然思えなくて、
心の傷は重いなあ・・・としか言えなくなりました。

昔、手首、というより肘から手首まで無数の傷のある十代の女子の壮絶な腕を思い出しました。

私の目が見たあの腕より心はもっともっと深い傷が覆っていたはず。

今は大人になった彼女の腕も心も少しでも癒えていてくれたなら。
そう祈りたい。




<本文より>

*人は驚くほど、人の痛みに無自覚なのだ。(竜舌蘭)

*傷の記憶は体の奥深くで疼き続けて消えることがない。(この世のすべての)

*その見えない傷が、いつの日かよみがえってあなたを壊してしまわないよう、わたしはずっと祈り続けます。(グリフィスの傷)

*人の悪意はこんな風に肌に遺るのだと伝えたかった。(からたちの)

*自分が忘れてしまった傷を覚えている人がいる。そんな安心感がこの世にはあるのだと、目をとじて雨音に身をゆだねた。(慈雨)

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化物園 /  恒川光太郎

2022年09月14日 | た行の作家
 

猫どろぼう猫
窮鼠の旅
十字路の蛇
風のない夕暮れ、狐たちと
胡乱の山犬
日陰の鳥
音楽の子供たち

七編の連作短編集。
共通の登場人物は人間ではありません。ケシヨウと呼ばれている摩物。
時を超えて、犬、猫、人間等々に姿を変えて、人間社会をさすらう魔物。

このケシヨウを説明するわずか約1ページで化物園へ引き込まれます。
おそろしい魔物です、化物園。

どの物語もどんどん物語が進んでいくので、思ったよりも早く読めます。
ただ、何分おそろしいので、おもしろいおもしろいと読んでいると、やられます。
やっぱり魔物です。

私は胡乱の山犬でやられました。
かなり美形な男が人を殺め人肉を噛む…このグロいホラーに少し休憩を要しました。
でも、次の日陰の鳥から物語は方向転換します。
グロい、から せつない に 登場人物もケシヨウも、なっていきます。

いや、せつない は最初からあったのです。あったけれどそれを感じないくらいな魔物だったのです。

なぜ、こうなってしまったのか。
どこで, 間違ってしまったのか。

辿っていくと、「勘違い」に行き当たります。個人個人の思い込みが魔物を生んでいくような。
人間の業とかカルマとか。欲とか、下心とか。

それを無にして生きるリュク。
リュクに救われて、リュクに希望を見ます。

本文より

人間はいつでも、一時的な勝利を束の間味わいはするが、どのみち最後は負ける。(胡乱の山犬)

港町を徘徊する薄汚れたリュクは誰の目にも不幸の極みに見えたが、リュク自身は不幸を感じたことがない。そもそも幸福や不幸といった概念がない。己の暮らしが底辺だと思ったこともない。目に映るのは森であり砂浜であり川べりであり町であり、空であり動物である。
そこに上も下もない。
最初から家族も資産もなく、失うものがない。文字も言葉もなかったから、思想もない。国家の概念もない。






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真夜中のたずねびと /  恒川光太郎

2022年07月07日 | た行の作家

ずっと昔、あなたと二人で
母の肖像
やがて夕暮れが夜に
さまよえる絵描きが、夜へ
真夜中の秘密

5編の連作短編集。

何だかすごい重たいものを読んだような。
でも、重たいものは面白さにつながっています。

怖いのは、人の情。
怒り。

理性ではどうしようもない怒りが沸点を超えてしまう。
それがどうしようもなく、かなしい。

人は、どうしても自分がかわいい。
子どもより、親より、誰より自分がかわいい。
それが、怒りの、かなしいの原点。

さて、このレビューを書いていて、この本のテーマは「捨てる」ではないかと思い始めています。

殺めた人を捨てるのはもちろんですが、逃げ出すのも捨てる。

捨てて生きる。別の世界で、別の場所で、別の人となって。

捨てたはずなのに、愛着の情は残っていて、それがまた別の世界へと誘う。
そうして、生きるためにその愛着さえ捨てる。
捨てて生きる。

みんな強いのです。
別の場所へ旅立てる強さと、別の人格へ変われる強さと。

それにしても、殺されてしまった人は無念です。
無念が、おしゃべりをして、動き、狙い、病ませ、狂わせる。
無念は自責の念につながるのかも。
おそろしいです。

「真夜中の秘密」の主人公、藤島泰斗さんは結婚し、父親になります。
彼の結婚相手が、「やがて夕暮れが夜に」の主人公、あかりさんなら良いなと思いました。
あかりさんが、山での生活に終止符を打ち穏やかな生活を送っていてくれたら、と思います。
思いがけずかかわってしまったけれど、藤島泰斗さんもあかりさんも誰も殺めてはいないのだから。

本文より

もうここにはアキの帰る場所はなかった。だがそれでいいのだ。(ずっと昔、あなたと二人で)

「あまり多くを求めずに生きられる人なのだと思います。そういう人は、強い」(真夜中の秘密)





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送り火 / 高橋弘希

2018年08月28日 | た行の作家





読後、表紙を見たりパラパラとページをめくったりしました。
そうしたら、表紙の裏の紙の臙脂色がとても気になりました。

与謝野晶子さんの
『臙脂色は誰にかたらむ血のゆらぎ春のおもひのさかりの命』
という歌を引っ張り出して、詠われている内容と物語の内容とは全然違うのに何だかぴったりだわあ、と思ったりしました。
血を連想する赤ではなくて、ちょっと茶色がかった赤の臙脂色がとてもいいと思います。

暴力をふるう側も受ける側も、少年たちの心の中にある行き場のないゆらぎ。
親も家も学校も友達も先生も選びようがなく、山々に囲まれた閉塞感と成長していく稲とそれでも流れていく川、渡るためにある橋、その中で、少年たちは少年たちの心で引きずられるように日々を過ごしていくようすが丁寧に描かれていきます。

ラスト、壮絶な暴力を受けていた稔が反撃します。
この反撃の爆発の、かなしさ。刃物を振り回し人を傷つけ痛めつけるときの彼のかなしみの痛々しさ。描かれる暴力よりも描かれない心のうちが痛いです。

ものすごいエネルギー。そのエネルギーの源は復讐です。しかえし、というよりやっぱり復讐の方がしっくりきます。

それほどまでに、歩は稔をいじめたのか?と歩が自分に問うのと同じように不思議に思いました。それで、私なりに想像してみました。

教室で何事かあると室谷先生は歩を呼び出して話を聞きますが、同じように稔を呼び出してそれとなく歩のことを言っていたのではないか…。
晃が稔に暴力をふるったのも、先生が絡んでいるのではないか…。

そもそも先生があと2年で廃校する学校に、しかも敵対する地域の学校にわざわざ転任してきたのはなぜか…。

晃が上級生から受けた暴力の原因は何なのか。

ずっと前の世代から続くいざこざがあって、もしかしたら、そのいざこざに先生が絡んでいたりするのではないか。

歩や晃や稔が演じた「オツベルと象」の物語も、言ってみれば復讐劇。
もしかしたら、室谷先生が一番のオツベルなのかも。
もしかしたら、私が気づかないだけで、先生のほかにオツベルはいるのかも。

壮絶な暴力のラストから、どうやって先生の、あるいはほかの誰かの本当の姿を炙り出し、どうやって裁くのか。

この物語は、言ってみれば、白象が書いて赤衣の童子に渡した手紙。
それを受け取った読者は、どうやってオツベルから少年たちを助け出すのか。
ものすごく、難しい問題を突きつけられるのです。


本文より

「知らね!わんど知ってらのは仁村の世代まで、それよか前の世代の連中が何をやってたかなんて、わっきゃ知らね!」



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