前回に続いて、島本理生さんの物語です。
「夜はおしまい」と親の宗教のこととか関わり合いが似ていたりしますが、この「星のように離れて雨のように散った」の方が救われます。
この物語は解決への道程の物語です。
なので苦しいことうまくいかないことももちろんあって、読んでいて辛くなることもあります。
それでも、次第に人々の星の光のようなやさしさが沁みてきます。
主人公の春さんは友人たちやアルバイト先の作家との関わり合いを通して自分が見えてきます。
それによって恋人の亜紀君の隠れた部分も見えてきたりします。
自分の姿は自分の目では見ることができないし、自分の心というのも偏りがあったりして、自分を知るということはなかなか大変です。
春さんはある時の服装について友人から指摘されますが、その場面が私には特徴的でした。
無意識にこれから出会うであろう人の好みに合わせている自分…って、とても怖い気がします。
例えば男性と会う時、無意識のうちに胸元がひどくあいた服とか、透けている服を着たりしたら、それは自分にとって「気持ち悪い」ことだと思います。
その「気持ち悪い」ことをどうしてしてしまうのか?
服ってすごくわかりやすいことです。
服じゃなくて、相手の言葉とか意思だったら、どうでしょう?
そうは思わなくても相手の意見に合わせてしまったりすることはよくあります。それを少しも違和感なく受け入れている。
そうやって結果的に私を失くして行ってしまうのだろうな、と思います。
ひとりひとり違うように、ひとりひとりの価値観だったり意見だったりが違って良いわけで、違いがあるなかでそれを尊重しつつお互いに歩み寄れば良いわけで。
それがうまくいかない、譲れない象徴的なことが「宗教」。
この物語には未完の物語が3作登場します。
ひとつは宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」、春さんの父親作の小説、そして春さん自身の小説。
「銀河鉄道の夜」はそれが未完であるのかどうか、私はわかりません。でも、もし未完であるならなんとしてでも完成させただろうと思います。
「銀河鉄道の夜」でジョバンニはカンパネルラがいなくなるその瞬間を見ていません。
一時も目を離すことなく見ていたら、もしかしたら消えなかった?…
目を離してしまった、そのことに何かしら後悔があるのかもしれません。(トシさんのその瞬間にそばにいなかった?…)
春さんは、子供の頃に父親からも母親からも目を離されてしまいました。
それが、かなしみの元凶でした。
そして、春さんはまわりのことから目を離さなかった。よく見ていました。
それも、かなしみの元凶でした。
見守られたからこそ見えた、「かなしみ」
見守られていることは、ほんとうにしあわせなことです。
そして、見守ることもしあわせなことです。
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だから今度は、私があなたを一つずつ見つける夏だ。