薔薇のなかの蛇 / 恩田 陸

2022年07月29日 | あ行の作家


17年ぶりの理瀬シリーズです。
確か、「黄昏の百合の骨」を読んだような…。
あまり記憶はないのですが、百合の香りを覚えているのです。

この本を読んで、半ばまでなかなか読むスピードがあがりませんでした。
でも、後半はすらすら~っと読めました。
前半は文字から私の頭の中でイメージが出てくるまで時間がかかったのが、原因のひとつかなと思います。

そもそも、ブラックローズハウス、五館からなる薔薇をかたどった館、というのがイメージするのが難しい。
理瀬はブラックローズを日本の家紋の「陰桔梗」だと言いますが、花の形というより、私の頭の中では星形☆になってしまいます。

陰桔梗紋、その花びらの真ん中は建物ならどうなっているのか?
もしかして、オズワルド・レミントンが隠れていた煙突とか?

星形の中心は五角形、ペンタゴンです。

本の中には北見隆さんの挿絵が何枚かあるのですが、ブラックローズハウスの全容の絵は皆無。
五館からなる館の絵が見たいです。

さて、物語の中では二人が亡くなります。
「祭壇殺人事件」と呼ばれる血生臭い凄惨な事件なのですが、殺された人についてはほとんど描かれていません。
殺人事件なら、誰が殺されたのかが重要な問題だと思うのですが、ヨハンのさらりとした言葉だけで終わりです。

思うに、この殺された人物やなぜ殺されたのかを想像することこそが、蛇。
物語という薔薇のなかにある描かれていない、蛇。

それから、もう一人。クスリのオーバードーズで亡くなった人。こちらも気になります。
殺された人が、たった数行で終わりだなんて何だか可哀想過ぎます。

物語の始まりは霧雨。
この霧や雨が、とても効果的です。

読んでいる間、私の住むところは夏だというのに梅雨のような天気。
雨が降ったり、雷が鳴ったり、どんよりとした曇り空だったり。
この物語を楽しむには最適な空模様でした。


本文より

「なんか、不思議よね。イギリスの紋章とは全然違う。省略の仕方がハンパないっていうか、ものすごい洗練されてる。もしかすると、昔の日本人は、『本当に』ああいう形を自然の中に見てたんじゃないかって気がするわ。あたし、時々考えるの。昔の人と自分たちって同じものを見ても全く違うものを見てるんじゃないかって。今、隣に昔の人がいたら、同じ犬や花を見ても、目に映っているものは違うんじゃないかって」



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2020年の恋人たち /  島本理生

2022年07月21日 | さ行の作家


32歳の女性の二年間の物語。

母を事故で亡くすことから物語は始まります。
主人公、前原葵さんは母が開店するはずだったワインバーを引き継ぎ開店させていくのですが、それと並行して男性たちとの出会いと別れが描かれていきます。

葵さんは恋愛相手と潔く別れていくのですが、それが新たな出会いを呼びます。
「もういらない」と決別しなければ、出会いはないのです。

ただひとり必要な人であるワインバーの従業員の松尾君とは、恋愛対象者ではないのに一緒に暮らし始めます。
一緒に働きながら、一緒に暮らす、もうそれは家族です。

というか、葵さんは誰にも頼らずひとりで生きているっていう女性なのに、一人暮らしは物語の中では描かれていません。
お母さんと暮らしていた、でもひとりだった。
彼と同棲していた、でもひとりだった。
そして、叔母さんの家で叔母さんと暮らし、叔母さんが叔父さんのもとへ帰るとそこで松尾君と暮らす。

どうして松尾君は葵さんのずっと必要な人のままなのか、考えてみました。

松尾君は最初から葵さんを「前原さん」と苗字で呼びます。同居してもなれなれしく「葵さん」や「葵ちゃん」などとは呼ばない、潔い一線を引き続けます。
あくまでも、雇用主と従業員。
むやみに踏み込んでこないという安心感があります。

なので、いつか男と女として向き合うような予感。
今は別々の恋愛対象者がいるにしても。
いつかカップルになって、家族になって、お父さんお母さんになって、おじいちゃんおばあちゃんになって…、そんな予感。
というより、私の願望です。

2020年、コロナ禍が始まって、葵さんのワインバーもその渦中の真っただ中ですが、それを乗り越えて、葵さんと松尾君ふたりの恋の物語を読みたくなりました。

本文より

「僕らは、それなくして生きられないものほど軽視したがりますから」

「他人の責任なんて誰にも取れませんよ。それは精神の越境行為です。悔んだり、不幸になったりして自分に酔っ払うことまで含めて、本人の自由ですから。他人の後悔する権利まで奪ったら、失礼ですよ」

二人でも、とホテルの自動ドアを通りながら、心の中で呟く。一人、なのだ。人間なのだから。





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二人がいた食卓 / 遠藤彩見

2022年07月19日 | あ行の作家


新婚の男女の出会いから別れまでを食事をテーマに描いていく物語。


「好きな食べ物は何?」と訊かれたら、私は「スイカ!」と答えます。
スイカなら、食欲がなくても食べられます。
毎食だって食べられます。
そういう食べ物があるって大事なことです。
そうして、今なら、「好きなだけ食べろ」と言ってくれる人をパートナーにしたいと思います。

古民家に暮らすある男女の動画を観ていると、ふたりの価値感が心地よかったりします。
全く同じというわけでなく、あえて同じにしない、相手の違う価値感を尊重する、それでも大事なところは同じということが良いです。

さて、この物語ですが、自分とは違う相手の価値感を大事にしなかった、その結果が共に暮らせないということになってしまいます。

たとえ、栄養の面で価値があったとしても、望まない望んでいない食事を毎日毎日食べることは苦痛でしかないということです。

作る側からすれば何というわがままなことを!!ということになりますが。
作る側の妻の泉さんは一所懸命朝晩食事を作ります。
それはもう鬼の形相の一所懸命です。
その一所懸命が食卓を重くしていき、夫の旺介さんの食欲を奪ってしまします。
しかも、旺介さんは好きなものを好きなだけ食べるということも奪われていきます。
しかも、一所懸命作っている泉さんは責められない。

鬼の形相で作る食事と鬼の形相の妻との食卓はもはや恐怖で、楽しい食卓とは無縁になってしまいました。
作る側、食べる側、一方的な思いだけで、お互いに労わる心もないというのが決定的です。

言葉はなくてもありがとうの気持ちがあって食卓は楽しくなるのかもしれません。
どんなテーブルで食べようと、どんなメニューであろうと、どんな人と食事を共にしようと、笑顔で向き合える食卓がいちばんです。

物語にはふたりの同僚や、同じマンションの住人、義実家の人たち等々が登場してきます。
その人たちが、いろいろなことを妻の泉さんに気づかせてくれます。

歩み寄ろうとしたら、ほかの人を介さずにその深層心理に気づいたのでしょうか?

物語のラスト、泉さんが旺介さんのチーズ好きに気づく場面が衝撃的でした。
そもそもが違っていた…。
泉さんにしたら、これ以上のショックはないくらいのショックですが、言葉は当てにならないということなのですね。



本文より

家庭は食卓だ。

「餓える、って、我を食べるって書くでしょう?なんていうか、感謝とか褒め言葉とか、言ったら愛?そういうものに餓えたら自分を消耗しちゃうってことだと思うんだよね」
「奥さんが言ってた。自信があるから感謝や褒め言葉がなくてもなんとか頑張れるの、って」

「誰かのために作る料理は、自分のためだけの倍疲れるだろ?なのに亭主は何やってんだ。こんなところで道草食ってないで早く帰れってんだ、って思ってさ」

「おいしい身は仲間と味わって、捨てたいアラは野良猫に食わせるのさ」




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とわの庭 / 小川 糸

2022年07月14日 | あ行の作家


ひとりの女性の再生の物語。

名前はとわ。永遠の「とわ」と実母に名付けられ、その後「田中十和子」と市長に名付けられました。

永遠のとわとして母と暮らした日々の物語と、母と決別し新たに十和子として生きる日々の物語が力強くやさしく綴られていきます。
その境目は、地震。
あの地震の恐怖が、とわ自身を動かし生きる力をよみがえらせます。

物語はやさしいのに残虐です。とわを取り巻く自宅の庭の自然や動物はとてもやさしいのに。
実の母から受けるやさしさと虐待の数々。
飴と鞭。
甘さの後に味わう強烈な辛さ。
それはそれを与えた母もまたそれを味わったということ。そうやって生きるしかなかったという、かなしさ。

でも、そのかなしさも捨てる。自身が生きるために。
再び生まれるために、歩けない裸足の足で一歩一歩。

その一歩一歩は産道を通る一歩一歩。
とわは、十和子として再び生まれ、この世界で生きるための術を授けられます。
授けるのは全くの他人なのだけれど、彼女に寄り添い彼女に力を与えた彼女の庭の自然や動物たちのような存在です。
そうして、彼女の目のかわりとなる盲導犬と出会い、再びあのわが家へ。

親子、特に母と子の難しさ。母を取り巻く周りの難しさがそのまま子との難しさにつながって。
それでも、その難しさを解いてくれる何かがどこかにはあって、一歩前に足を出せば助けてくれる誰かにも出会える奇跡のようなものも確かにあって、
その場所に奇跡がないなら、どこか別の場所へ行ってみる。
自分の狭い世界から飛び出してみる。
空想でも物語でもいいから、自分の心地よい場所へ。とにかく行ってみる。自分を連れ出してみる。

たったひとつの自分の生だもの。
恨み辛みや、妬みや、そういうものに支配されてたまるか!!!
と。


安倍晋三元総理が銃撃され亡くなられ、容疑者の母の宗教の問題がクローズアップされて、
彼はその宗教を恨んでいたと伝えられていますが、恨みは母へ向かわなかったのでしょうか?

物語の中でとわは次第に母を理解していきますが、容疑者も母のかなしさを理解していた?
母を助けだしたかった?

とにかく、母には生きていてほしかったんですね。


本文より
わたしにおなかを空かさせていたのは、母さんなのかもしれない。

言葉にも蜃気楼というかオーラみたいなものがあって、ただ音として聞き流すのではなく、じっくりと手のひらに包み込むようにして温めていれば
そこからじわじわと蒸気のように言葉の内側に秘められていたエキスが、言葉の膜の外側ににじみ出てくるということが。



安倍晋三元総理のご冥福をお祈り申し上げます。
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真夜中のたずねびと /  恒川光太郎

2022年07月07日 | た行の作家

ずっと昔、あなたと二人で
母の肖像
やがて夕暮れが夜に
さまよえる絵描きが、夜へ
真夜中の秘密

5編の連作短編集。

何だかすごい重たいものを読んだような。
でも、重たいものは面白さにつながっています。

怖いのは、人の情。
怒り。

理性ではどうしようもない怒りが沸点を超えてしまう。
それがどうしようもなく、かなしい。

人は、どうしても自分がかわいい。
子どもより、親より、誰より自分がかわいい。
それが、怒りの、かなしいの原点。

さて、このレビューを書いていて、この本のテーマは「捨てる」ではないかと思い始めています。

殺めた人を捨てるのはもちろんですが、逃げ出すのも捨てる。

捨てて生きる。別の世界で、別の場所で、別の人となって。

捨てたはずなのに、愛着の情は残っていて、それがまた別の世界へと誘う。
そうして、生きるためにその愛着さえ捨てる。
捨てて生きる。

みんな強いのです。
別の場所へ旅立てる強さと、別の人格へ変われる強さと。

それにしても、殺されてしまった人は無念です。
無念が、おしゃべりをして、動き、狙い、病ませ、狂わせる。
無念は自責の念につながるのかも。
おそろしいです。

「真夜中の秘密」の主人公、藤島泰斗さんは結婚し、父親になります。
彼の結婚相手が、「やがて夕暮れが夜に」の主人公、あかりさんなら良いなと思いました。
あかりさんが、山での生活に終止符を打ち穏やかな生活を送っていてくれたら、と思います。
思いがけずかかわってしまったけれど、藤島泰斗さんもあかりさんも誰も殺めてはいないのだから。

本文より

もうここにはアキの帰る場所はなかった。だがそれでいいのだ。(ずっと昔、あなたと二人で)

「あまり多くを求めずに生きられる人なのだと思います。そういう人は、強い」(真夜中の秘密)





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リボンの男 /  山崎ナオコーラ

2022年07月04日 | や行の作家






難しい言葉も難しい言い回しも難しいからくりもひねりもなく、すらすら素直に読めて気持ち良く読み終えました。
久しぶりの楽しい読後感🎵

確かに、主婦や主夫って小さい世界だと思いがちではあります。
主婦や主夫の世界ってつまりは家庭。
誰でもその小さいと思われる世界、家庭から巣立って、やがては大きいと思われる世界からも巣立って、また小さいと思われる世界へ帰ってくるわけで。
小さい世界は浅い世界かと言えば、無限な深さもあるわけで。
そのあたりの描き方は、主夫である妹子さんの心の中にあたるのですが、感動的でした。

妹子さんの本名は小野常雄さん。妻はみどりさん。子供はタロウ君。
三人の名前、なかなかです。
主夫の妹子さんが常に♂だなんて。
みどりさんはさわやか、三人が住む野川にぴったりです。
そして、タロウ君。カタカナですが漢字ならどんな字だろうと想像してみました。
「多朗」はどうでしょう?「ほがらかがいっぱい」の多朗です。

妹子さんは専業主夫なので稼ぎはありません。
稼げないことを妹子さんは気にしたりします。
稼ぐ立場の妻であるみどりさんの稼がなくてはならないプレッシャーもよくわかるので、稼ぐ稼げない辛さはフィフティフィフティ。
お金を基準に考えるって、何だか世界を狭めますね。
小さい世界を巣立って大きい世界でお金を稼ぐのに、狭める?…
何だか、変です。

家事や育児が女性だけのものでなくなり、働かない男性の主夫の物語が登場するまでになって、そういう時代になったことがうれしくなります。
日本は「こうあるべき」にずいぶん縛られてきました。
生きづらさや息苦しさは「こうあるべき」の縛りなのですね。


で、この物語は家事や育児の問題だけではなく、現代の日本が抱える問題をいろいろ提示しています。
野生の動物と人間の境界
非正規雇用と正規雇用の格差
男性と女性の差別
プラスチックと環境
心の病
外来種…。

いま、こういう社会に住んでいるんだなと思ったら、物語の舞台の野川をのんびりと歩いてみたくなりました。



本文より

「いろいろな形態の書店が進化していってこそ、多様な書店文化が育まれるんだと思います。共存したいな、って思います」

「そうだよね。やりたいことは何個でもやった方がいいよね」

外来種だって、ただの生き物で、一所懸命に生きている。外来種の生き物や植物の多くが在来種より大きくて強いからといって、悪口を言って良いわけではないだろう。








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