昏色の都 / 諏訪哲史

2024年06月05日 | さ行の作家
※昏色の都
※極光
※貸本屋うずら堂

三編の物語が収められていますが「昏色の都」しか読んでいないので、他の物語はもし読み終えられたら追加して書こうと思います。


主人公の「わたし」は、生まれながらに目に障碍をかかえ、6歳の時医療によって見えるようになり、大学卒業のころまた徐々に見えなくなっていきます。
その間に起こったこと感じたこと思ったことを「わたし」は書いていきます。
そして、書いたものを閉じ込める
見えていた時間をその記憶を永遠に閉じ込める
自分を綴じる儀式のように自分を閉じ込める。

なぜか、閉じ込めていながら開けていく、、、そんな感じもしています。

窓だからでしょうか?


Window、Wind、窓は風なのですね。


物語の舞台となるブリュージュには行ったことがありません。
ブリュージュの街並みやブリュージュの風を知っていたら、物語をもっと深く理解できるのかも…「わたし」をもっとよく知ることができるのかも…と悔しい気持ちもあるのですが、本の最初に地図がありますし、youtubeで見ることもできます。なので、空想を膨らましてブリュージュを頭の中に描きこの物語を楽しみます。

何故、「わたし」が母の国である日本からブリュージュへ戻ったのか?
それは、待っている人がいるから。
なんて思って、ますますこの物語が好きになりました。

叔母は叔母としか語られていませんが、この物語全部が叔母への愛であふれています。叔母は常に「わたし」に寄り添い、これから目の症状が進んでいけばもっともっと寄り添うようになっていくでしょう。

ともに暮らす家族としての愛情なのかもしれないけれど、恋愛としての愛があるかもしれない。でも、それはどっちでもいい。
「わたし」とイレーネ叔母の間に確かにあるものでいい。

青からやがて限りなく黒に近くなっていく昏色に陽の色の残照が燃えている夕。
ふたりの影が次第に重なっていくような。
妄想は膨らみます。

言葉では言い表せないくらい静かに風が心地よく響く読書の時間でした。
  

<本文より>

※あかいゆめ、しろいゆめを見ているのかもしれない。

※日暮れるたびに、人はみな黙り込まされる。



☆追記

Windowの語源を調べてみました。

Windowは古代北欧語「vindauga」に由来し、「風の目」を意味する、そうです。

Windの語源は「曲がる」の意味を持つ印欧語根の「wendh」が「巻く」の意味を持つゲルマン祖語の「windana」になり古期英語「windan」になり中期英語の「winden」になったそうです。




「巻く」、、、「膜」でしょうか?




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あおぞら町春子さんの冒険と推理 / 柴田よしき

2022年09月19日 | さ行の作家


春子さんと、捨てられた白い花の冒険
洋平くんと、無表情なファンの冒険
有希さんと、消える魔球の冒険

3編の連作短編集。

タイトル通りの物語です。
あおぞら町に住む主婦の春子さんが、不思議だな~という町の謎を推理して解明していく物語です。
謎解きなのに小難しいものは何もなく、サクサクと読めて、でも、どうなるか予想もつかなくてひねりも効いています。


一見平和に見える町の中には、全然平和ではないことが潜んでいます。本当は平和ではないのに、平和の仮面を被っています。
その仮面を春子さんが剝ぎ取るのですが、その時の爽快感が癖になりそうです。

もちろん、春子さんひとりの力ではありません。春子さんの謎解きに対する協力者が絶対必要で、春子さんのコミュニケーション力が素晴らしいので次から次へと協力者が現れます。春子さんの人徳ですね。

そして、単なる謎解きの物語で終わらないのがこの本のもうひとつの魅力です。
それは、春子さんの成長です。成長というか、自覚というか、とにかく、目覚めるのです。

春子さんは、決して現状に胡坐はかかない!
それがとても魅力的です。




本文より

けれど、人生の選択は、振り返って正解だったのかどうかと考えることには意味がない。選択させてしまった道を進むしかないのだ。

何ができるのかわからないけれど、何ができるのか考えてみるだけでもいい。考えてみたい。





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2020年の恋人たち /  島本理生

2022年07月21日 | さ行の作家


32歳の女性の二年間の物語。

母を事故で亡くすことから物語は始まります。
主人公、前原葵さんは母が開店するはずだったワインバーを引き継ぎ開店させていくのですが、それと並行して男性たちとの出会いと別れが描かれていきます。

葵さんは恋愛相手と潔く別れていくのですが、それが新たな出会いを呼びます。
「もういらない」と決別しなければ、出会いはないのです。

ただひとり必要な人であるワインバーの従業員の松尾君とは、恋愛対象者ではないのに一緒に暮らし始めます。
一緒に働きながら、一緒に暮らす、もうそれは家族です。

というか、葵さんは誰にも頼らずひとりで生きているっていう女性なのに、一人暮らしは物語の中では描かれていません。
お母さんと暮らしていた、でもひとりだった。
彼と同棲していた、でもひとりだった。
そして、叔母さんの家で叔母さんと暮らし、叔母さんが叔父さんのもとへ帰るとそこで松尾君と暮らす。

どうして松尾君は葵さんのずっと必要な人のままなのか、考えてみました。

松尾君は最初から葵さんを「前原さん」と苗字で呼びます。同居してもなれなれしく「葵さん」や「葵ちゃん」などとは呼ばない、潔い一線を引き続けます。
あくまでも、雇用主と従業員。
むやみに踏み込んでこないという安心感があります。

なので、いつか男と女として向き合うような予感。
今は別々の恋愛対象者がいるにしても。
いつかカップルになって、家族になって、お父さんお母さんになって、おじいちゃんおばあちゃんになって…、そんな予感。
というより、私の願望です。

2020年、コロナ禍が始まって、葵さんのワインバーもその渦中の真っただ中ですが、それを乗り越えて、葵さんと松尾君ふたりの恋の物語を読みたくなりました。

本文より

「僕らは、それなくして生きられないものほど軽視したがりますから」

「他人の責任なんて誰にも取れませんよ。それは精神の越境行為です。悔んだり、不幸になったりして自分に酔っ払うことまで含めて、本人の自由ですから。他人の後悔する権利まで奪ったら、失礼ですよ」

二人でも、とホテルの自動ドアを通りながら、心の中で呟く。一人、なのだ。人間なのだから。





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星のように離れて雨のように散った /  島本理生

2022年06月21日 | さ行の作家


前回に続いて、島本理生さんの物語です。
「夜はおしまい」と親の宗教のこととか関わり合いが似ていたりしますが、この「星のように離れて雨のように散った」の方が救われます。

この物語は解決への道程の物語です。
なので苦しいことうまくいかないことももちろんあって、読んでいて辛くなることもあります。
それでも、次第に人々の星の光のようなやさしさが沁みてきます。

主人公の春さんは友人たちやアルバイト先の作家との関わり合いを通して自分が見えてきます。
それによって恋人の亜紀君の隠れた部分も見えてきたりします。

自分の姿は自分の目では見ることができないし、自分の心というのも偏りがあったりして、自分を知るということはなかなか大変です。

春さんはある時の服装について友人から指摘されますが、その場面が私には特徴的でした。

無意識にこれから出会うであろう人の好みに合わせている自分…って、とても怖い気がします。
例えば男性と会う時、無意識のうちに胸元がひどくあいた服とか、透けている服を着たりしたら、それは自分にとって「気持ち悪い」ことだと思います。
その「気持ち悪い」ことをどうしてしてしまうのか?

服ってすごくわかりやすいことです。
服じゃなくて、相手の言葉とか意思だったら、どうでしょう?
そうは思わなくても相手の意見に合わせてしまったりすることはよくあります。それを少しも違和感なく受け入れている。
そうやって結果的に私を失くして行ってしまうのだろうな、と思います。

ひとりひとり違うように、ひとりひとりの価値観だったり意見だったりが違って良いわけで、違いがあるなかでそれを尊重しつつお互いに歩み寄れば良いわけで。
それがうまくいかない、譲れない象徴的なことが「宗教」。

この物語には未完の物語が3作登場します。
ひとつは宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」、春さんの父親作の小説、そして春さん自身の小説。
「銀河鉄道の夜」はそれが未完であるのかどうか、私はわかりません。でも、もし未完であるならなんとしてでも完成させただろうと思います。

「銀河鉄道の夜」でジョバンニはカンパネルラがいなくなるその瞬間を見ていません。
一時も目を離すことなく見ていたら、もしかしたら消えなかった?…
目を離してしまった、そのことに何かしら後悔があるのかもしれません。(トシさんのその瞬間にそばにいなかった?…)

春さんは、子供の頃に父親からも母親からも目を離されてしまいました。
それが、かなしみの元凶でした。

そして、春さんはまわりのことから目を離さなかった。よく見ていました。
それも、かなしみの元凶でした。

見守られたからこそ見えた、「かなしみ」


見守られていることは、ほんとうにしあわせなことです。
そして、見守ることもしあわせなことです。



本文より

「ずっとしたかったこととか、言いたかったこととか、滅茶苦茶でもいいから、いっぺん気が済むまでやってみたら?あなたは甘いんじゃないよ。言わない訓練をしすぎて、自分でももはや本心が何だか分からなくなっちゃってるんだよ。・・・・・・」

最初の夏、あなたは私を見つけて、強く求めた。
だから今度は、私があなたを一つずつ見つける夏だ。






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夜はおしまい / 島本理生

2022年06月10日 | さ行の作家
   

夜のまっただなか
サテライトの女たち
雪ト逃ゲル
静寂

女たちの4編の物語集

読んでいるとこういう物語だとは、、、と、すごく辛くなってしまいました。

そうれはそうなのです。辛くないはずがない
この物語たちはある意味、告白なのですから。あるいは、懺悔。

主人公たちは、4編に登場する金井神父に告解するのですが、この物語自体が告解なのです。
なので、神父どころか、宗教になにもかかわりのない、ただただ無防備な読み手は辛くなるのは当たり前です。

思うのは、作者は辛くなかったのか?ということです。
辛くても、生きる、生きてほしい、生きていけ…そういう祈り、、、でしょうか。

ラスト、登場人物の女性は、パートナーとして女性を選びます。
子供の父親である夫でも恋人の男性でもなく、新たに出会った女性。
女性が女性を相手に選ぶ、それを認められる世の中になってきたことが、この辛い物語のちいさな光明のように思えたりしました。

読み終えて、女たちの告解は聞き終わりました。
なので、次に私が知りたい、聞きたいのは男たちの告解です。

傷を負った女たちの告解だけでは不公平。
辛い女たちの物語を描いたら、男たちの物語も描くべきでしょう。

現実世界でも戦争が始まって、ウクライナの人たちや大統領の言葉は聞くことができます。
私がいちばん聞きたいのはプーチン大統領の言葉。
嘘いつわりのない告解。
みんな、そうなのでは?


本文より

「いえ、ただ一瞬でも、その奥を見つめてはいけないものがあります。たとえ偶然にも目が合えば、その瞬間に、悪魔はもう相手の内に入り込んでいる。悪魔といえば恐ろしいものに聞こえるでしょうが、それは人間の自由意志が姿を変えたものでもあります。もしかしたら本来は神よりも悪魔のほうがずっと人に近いのかもしれません。だからこそ、かならず逃げるのです。・・・・・・」





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わたしたちは銀のフォークと薬を手にして /  島本理生

2018年10月03日 | さ行の作家


読んでいる途中、本を閉じて別なことをすると、主人公の知世さんと椎名さんが気になって気になって。
こんなに気になる物語って珍しいと思いました。
幸せになってほしい二人だな、と思いながら読んで行きました。

ふたりが良いことにも悪いことにも寄り添って生活を共にしていく、そういう終わり方で良かったです。

島本理生さんの物語は、ここ数年、手にすることはあっても読み切ることがなかなかできなかったので、最後まで読めてよかったです。

重いテーマなのに重くならず、みんなどこかに光を見いだせて安定感のある物語でした。


表紙は、押し花の花びらで作られた唇です。

食べることも、語ることも、くちびる。
攻撃も、告白も、謝罪も、防御も、癒しも、言ってみればくちびるです。
それから、男女の関係でもくちびるは大事な器官。

石垣島でのことを椎名さんは、もっと彼女の話を聞くべきだったと語りますが、くちびるも相手がいるからこそのくちびるなんですね。

フォークも薬もくちびるへ。

どれだけ寄り添えるか…くちびるの力が試されているのかも。



本文より

たくさんのよけいなことを考えて、いくつもの現実をこなさなければならない。私たちは、そういう生き物だ。

健康だから。
病気じゃないから。
それだけで人は人の体をびっくりするほど粗雑に扱う。





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