鎌倉の家 / 甘糟りり子

2018年10月24日 | あ行の作家

家は、まるで木です。
動かず、風を受け、雨に打たれ、太陽を浴びる。

そうして、家は動かないのに、人はあっちに行きこっちに行き、戻り、そしていなくなる。

家は、動かないのに、家は擦り切れるし、傷む。
人が住まなければ、荒れ果てる。だから、手入れをし磨き飾る。

家は、まるで木です。
人の手を必要としている、木です。

甘糟りり子さんの住む鎌倉の家は、築90年。長い年月を経た家です。
最近は、断捨離だとかミニマリストだとか、物を持たないことが流行っていたりしますが、
この鎌倉の家は、古いものを大切に持っています。

本には、鎌倉の老舗のお店も登場してきます。
年月を経て、店仕舞いしたり、代替わりしたり、お店も変化していきます。
でも、記憶の中に残っている。

周りの人々も亡くなったり、病気をしたり、老いたり、変化していきます。
でも、その変化の月日を記憶できる。
記憶のありがたさ。

表紙の青い紋様が、鎌倉の海を思わせます。
和の紋様が、古い家のイメージとぴったり重なって素敵です。

紗綾形紋様は「不断長久」、梅紋様は「忍耐」「美」、麻の葉紋様は「すくすく育ちますように」、青海波紋様は「穏やかな暮らしが続きますように」

紋様に込められた願いが、家の、その家に住む人たちの願いです。


本文より

「値段は関係ないの。この中からひとつあげるといわれたら、どれがいいかって考えるのよ」

たちまち姿を変えていく火は物語そのものだった。最初はぼそぼそとつぶやくようだった火が、たちまちたからかに歌うようになり、時としてどなったりもする。

私は昔話が好きだ。現在のすべては過去でできているから。過去を大切にしない人は結局、今をかみしめられないのではないかと思う。







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考えられないこと / 河野多恵子

2018年10月23日 | か行の作家
好き嫌い
歌の声
考えられないこと
詩 三篇
日記

河野多恵子さんの最後の作品集。

ケースから本を出すと、レトロな赤の、雑多なものが整然と収まった写真の表紙が現れます。
まるで秘密の小箱集、女性の心の中か、記憶の中のような。
このレトロな赤がとてもいいです。

私にとっては初めて読む河野多恵子さんの本。
3編の物語と詩と日記。どれもとてもストレートで簡潔。なので、読みやすいです。

「好き嫌い」を読んでいると、小さい頃の自分が頭の中に登場してきて、主人公のハマ子ちゃんはこうだったけれど、私はこんな子だったのよ…、と自分の過去を話し始めるので、短い物語なのに、倍くらい長い物語になってしまいました。
そして、幼い私に会えたこと、幼い私の周りにいた人たちに会えたことが、とてもうれしい。

物語は、不思議です。まったく別の物語を呼び寄せます。
そんな波長の合う物語に出会えたことが、またうれしい。

「考えられないこと」は、戦後結婚した兄が、戦死したはずの友人に会う話。
考えられないことではありますが、ないこともないことだとも思います。

ずっと、忘れ去られずに、何十年に一回でも、誰かの記憶の中に生きていられたらいい…。
なんて、兄の友人は思わなかっただろうけれど。
祝福したかった友人と、祝福してほしかった兄の気持ちが重なったのかな、なんて思います。

それから、物語よりも、河野多恵子さんてすごい!と思ったのが、日記です。
わずか数行で、確実に、その時代のその日に運んでくれます。


本文より

背中と同じように、人間が自分の本当の顔は、自分で見ることが出来ない不思議さ。
鏡やガラスに映る自分の顔は、本当の自分の顔ではない不思議さ。彼女は自分の顔がぶすっとしていることを視覚ではなく、顔そのもののなかから伝わってくる感じによって知るようになったのであった。

「いかんと言ったら、いかんのだ!それからの多い綴り方ほどいかん。ごくたまにそれからでなければならぬ場合がある。そういう時には、それからが一番いいんだ。使うのは、そういう時だけにする」





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マカロンはマカロン /  近藤史恵

2018年10月09日 | か行の作家
コウノトリが運ぶもの
青い果実のタルト
共犯のピエ・ド・コション
追憶のブーダン・ノワール
ムッシュ・パピヨンに伝言を
マカロンはマカロン
タルタルステーキの罠
ヴィンテージワインと友情

「ビストロ・パ・マル」シリーズの三作目です。

小さなフレンチレストラン、ビストロ・パ・マルを舞台にした謎解きの物語です。
食事に訪れる客の誰もがミステリーを抱えている、と言っても良いのかも。
そのミステリーを、フランス料理を間において、ビストロ・パ・マルのスタッフがさらりと解いていきます。
さらりと解いてひとつの物語が淡々と終わるのですが、終わった後もこの客たちのその後がとても気になります。

乳製品アレルギーの安倍さん、食べ歩きのブログを書いている美佐子さん、一人息子を連れての再婚が決まった館野さん、肉料理大好きのカップルの犬飼さんとリンさん、大学教師の西田氏を待つパン屋のジュリーさん、トランスジェンダーの岸部さん、妊娠中の亜子さん、友人関係に悩む嗣麻子さん、彼女たちのその後は、満たされているのでしょうか?

日常全部が満たされていなくても、満たされている部分があるのなら、それはそれで幸せ。
ひとつ何かが解決しても、問題はまた生まれてくるものだと思うし、だからこそ、食べることは大事。

自分の家の手作りの食事も大切だけれど、時には、素敵な肩ひじ張らないあたたかい雰囲気のレストランで食事を楽しむ。
自分へのご褒美として、あるいは誰かのご褒美として。
だから、安倍さんのようにおしゃれをして、「特別」を楽しむことが出来たなら。
と、ジーンズの私に自戒を込めて。

それにしても、三舟シェフのお料理、ひと口でもいいから食べてみたい!!


本文より


そう、たとえば、密封されていたペッコフの香りが蓋を開けられると同時に広がるように、閉じ込められていた愛も、それに気づいた瞬間に心を満たすものなのかもしれない。

「同じ、人間なのにね」

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わたしたちは銀のフォークと薬を手にして /  島本理生

2018年10月03日 | さ行の作家


読んでいる途中、本を閉じて別なことをすると、主人公の知世さんと椎名さんが気になって気になって。
こんなに気になる物語って珍しいと思いました。
幸せになってほしい二人だな、と思いながら読んで行きました。

ふたりが良いことにも悪いことにも寄り添って生活を共にしていく、そういう終わり方で良かったです。

島本理生さんの物語は、ここ数年、手にすることはあっても読み切ることがなかなかできなかったので、最後まで読めてよかったです。

重いテーマなのに重くならず、みんなどこかに光を見いだせて安定感のある物語でした。


表紙は、押し花の花びらで作られた唇です。

食べることも、語ることも、くちびる。
攻撃も、告白も、謝罪も、防御も、癒しも、言ってみればくちびるです。
それから、男女の関係でもくちびるは大事な器官。

石垣島でのことを椎名さんは、もっと彼女の話を聞くべきだったと語りますが、くちびるも相手がいるからこそのくちびるなんですね。

フォークも薬もくちびるへ。

どれだけ寄り添えるか…くちびるの力が試されているのかも。



本文より

たくさんのよけいなことを考えて、いくつもの現実をこなさなければならない。私たちは、そういう生き物だ。

健康だから。
病気じゃないから。
それだけで人は人の体をびっくりするほど粗雑に扱う。





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