からだの美 / 小川洋子

2024年09月20日 | あ行の作家



 *外野手の肩
 *ミュージカル俳優の声
 *棋士の中指
 *ゴリラの背中
 *バレリーナの爪先
 *卓球選手の視線
 *フィギュアスケーターの首
 *ハダカデバネズミの皮膚
 *力士のふくらはぎ
 *シロナガスクジの骨
 *文楽人形遣いの腕
 *ボート選手の太もも
 *ハードル選手の足の裏
 *レース編みをする人の指先
 *カタツムリの殻
 *赤ん坊の握りこぶし


人間と動物の体の一部分にスポットを当てたエッセイ集。

「ゴリラの背中」の四人家族のゴリラのお父さんの広い背中で遊ぶ子ゴリラたちの楽しそうなこと、目に浮かびました。

篇に一枚の写真が載っていますが、ゴリラのお父さんの以外にふんわりしたユーモラスな背中がかわいくて。

からだの美を持つ人たちの姿をYouTubeで見てみました。
惹かれる場面が多々ありました。
ハードルの劉翔選手の三回のオリンピック。
特に三度目のロンドンオリンピックでの場面。彼の他にも同時に足を引っかけてしまった選手がいたり、そもそも跳んでいなかったりゴール寸前で倒れた選手がいたり。アクシデントがいっぱいでいったい何があったの?ってびっくりでした。

ただ、金メダルを取った彼が背負ってしまったものを想像すると、ため息ですね。

それから、当時の皇太子(現上皇陛下)御一家が観戦した日の初代貴ノ花と輪島の一戦。
水入りまであって見ごたえのある長い相撲で、昔のことなのについ熱く観てしまいました。


本書のカバーの作品は中谷ミチコさんの「すくう、すくう、すくう」。

両手をまるめて、水をすくう形が丸く表されていて素敵♪

このカバーを眺めながら、作者はその時の場面場面、一瞬一瞬をすくって、美しい文字にしたのだなと思いました。

そして、最後の篇赤ちゃんの握りこぶしの写真を見ていて思いつきました。
もしかしたら、みんな「まんまるの美」なの?、、、と。

ボールを投げるイチローさんの肩が描く弧。
「レ・ミゼラブル」で歌う福井晶一さんの包容力のある声のまんまる。
四角い将棋の盤の中心に渦巻く宇宙にある羽生さんの丸い中指の先。
未熟なものを守るぽこぽこ楕円なゴリラの背中。
トウシューズの中のバレリーナの丸い爪先がまわってまわってくるくる丸く。
丸いピンポン玉を見つめる石川佳純さんのまんまる目。
スケート靴と同じ円を宙に描くスピンの時の高橋大輔さんの首。
毛を脱ぎ捨てたハダカデバネズミの皮膚だけのまあるいからだ。
丸い土俵でぶつかり合う丸い体のふくらはぎの曲線美。
骨だって丸いよと美しいカーブを見せてくれるシロナガスクジラの背骨。
言葉以上に言葉にいのちをふきこむ命の源の人形遣いの腕の丸さ。
ボート選手たちを空に解き放す翼の脚、丸いふともも。
天国も地獄も踏み飛ばしていくようなハードルの真上の劉翔選手の足の裏の楕円曲線形。
女性の丸い指が生み出すレースの丸い空洞。そもそも編み目は一目一目が丸。
カタツムリのまるい殻につまっている「かなしみ」は殻の形だよね…。それは丸だから背負えるのです。
そして、赤ちゃんの握りこぶし。宇宙です。自分の握りこぶしを眺める赤ちゃんは宇宙へようこそ!と自分を歓迎しているよう。


これらのからだの美は時間の積み重ね。鍛えられた美。

私は何も鍛えてないけど…と凹みますが、生きていることがもう鍛錬!!!と思いましょう。

それにしても、石川佳純さんのボールを見つめる視線の素晴らしいこと。
それはこの一瞬を逃さずとらえたカメラマンの視線と鍛錬の素晴らしさとイコールで。少し先の見えない一瞬が見えていたのかも。



<本文より>

人は、そこにないけれどある、ものに出会った時、より静かに心の目を見開く。実際には見えないはずのものを見た、と思える時、いっそう心を揺さぶられる。(文楽人形遣いの腕)

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望月の烏 / 阿部智里

2024年09月03日 | あ行の作家









八咫烏シリーズ第2部 第4巻

成長した新たな金烏、凪彦の妃を選ぶ「登殿の儀」を舞台に物語は進みます。

この八咫烏シリーズの第一作「烏に単衣は似合わない」の舞台も「登殿の儀」。
本来なら「登殿の儀」は日嗣の皇子の妃選び。ですが凪彦はすでに即位して「金烏」になっています。凪彦は日嗣の皇子の経験もなく金烏になってしまったのですね。

それから「烏に単衣は似合わない」との違いは、東西南北の四家の姫たちの他にもう一人の美しい女性(女性でありながら女性を返上して男として生きる=楽女)が登場すること。
この美しい楽女が本作の主人公です。

肝心の妃の方はすでに決まっていて、どうやら凪彦本人もそのレールに乗ることに異議はないようです。
お妃選びにワクワクしていた私はちょっと肩透かしを食らいました。
もうちょっと誰になるのかな?ってドキドキしたかったかも?

それとも後に波乱があったりして?

それにしても、楽女をはじめとして女性たちの自由さには驚かされます。
権力や地位に弱い男性にはない軽やかな思考の自由。

「家」や「権力」の道具にされながらひらりとかわす…。
百官の長、黄烏となった博陸侯雪斎(雪哉)はまだ気づいてはいないようですが、ほころびていく山内を変えていく、平和に導いていくのは女性たちの思考力、地頭力なのかも。

否、男女が力を合わせた時、男女関係なく地位も関係なく同志が結集した時、山内を守れるのかも。

次の物語は山内を守る鍵、外界のようです。

<本文より>

*「政をおこなう者が、理不尽を知って知らぬふりをする。その怠慢こそが、政をおこなう者のーーー貴族の罪なのではありませんか?」

*「私も、家の道具として一生を終えるのはまっぴらごめんでございますしーーーそのように、他の者達を扱いたくもございません」
「だから、出来る範囲で、それを強いて来るもの達に抗ってやろうと思ったのです」




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追憶の烏 /  阿部智里

2024年06月18日 | あ行の作家
八咫烏シリーズ第2部第2巻

本来ならば「烏の緑羽」を読む前にこの「追憶の烏」を読みたかったのですが、残念ながら図書館になくて、図書館で出会った順に読みました。
が、やはり正順に読むべきですね。

どういうことが起こって金烏が亡くなってしまったのか…
誰によって命が奪われたのか?黒幕は誰なのか?
皇后浜木綿と娘紫苑の宮はどうなるのか?
雪哉をはじめ山内衆は、四家は?

すべてがこの「追憶の烏」で解き明かされます。

それは、素晴らしいどんでん返しの物語。
そして、ラストに向けてまたもや素晴らしいどんでん返し。
最後まで、息をつく暇もないくらい。

いままでの物語で登場人物のキャラ設定が明確なので、ご都合主義じゃなく「そういうことしそうだよね」と納得してしまいます。

それから、留まらない素晴らしさ。いつだって時間は過ぎていくので、このスピード感はどんどん物語を面白くしていきます。
のちの章でその過ぎた時間のことは知ることもあるかもしれないので、何より時が進むこと、物語が進むことがうれしい。
新しい登場人物も魅力的です。

思うに物語は見えないものを見る難しさ、気持ちを推し量る難しさを描いているのでしょう。
トップに立つものが仕えるものを見る思う、仕えるものが仕える相手を見る思う、それをどれだけ深く見極められるか…。
見極められないと、思いが及ばないと、勝ち目がない、負ける。
例え金烏であっても。
なかなか厳しい、山内の八咫烏の世界。

今現在、第4巻「望月の烏」が発売されています。
新しく登場した「凪彦」のお妃選びのようで、「烏に単衣は似合わない」のような物語になるのでしょうか。それとも?

たぶん、私が思いつかないような展開になって、また「そう来たか!!!」ってワクワク読み終わりそうな予感。
めちゃくくちゃ楽しみです。

早く読みたいな。


<本文>より

※「お前はただの一度だって、奈月彦を選ばなかった」

※真の金烏という『力』に頭を垂れたのであって、仲間になって欲しいと請うてくれた男そのひとを、真摯に見ようとしたことは、ただの一度もなかったのだ。



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烏の緑羽 / 阿部智里

2024年06月17日 | あ行の作家

八咫烏シリーズ第2部第3巻

今回は長束の路近に対する違和感から始まって、長束の物語かと思いきや、雪哉のライバルであり師でもある翠覚や清賢の生い立ちの物語です。

登場人物それぞれに生い立ち、過去があり、今があり、やがてがある、それがとてもよくわかります。

その意味でこの巻は、やがてへ向かう一時の静寂。
プロローグ。

いよいよ成長した紫苑の物語が始まりそうな。
かっこいい登場曲が聞こえてきそうでわくわくしてきます。

もしかしたら、金烏は自分にもしものことがあれば、娘を育てるのは翠覚だと見越していたのかもしれません。見越すというより願ったと言った方が良いかも。

長束、皇后、雪哉…気になる人物が多いのもこのシリーズの魅力。
次作はみんなどうなっているのでしょう?

危うい山内のこと、戦いになるのは目に見えていますが、私の希望としては雅な世界も描いてほしいな。


<本文より>

「馬鹿を言え、地味な道こそ、一番苦しくて、一番まっとうで、だからこそ一番楽しいではないか。それが理解できぬとは、お主まだまだ子どもだったのだな」




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ケチる貴方 /  石田夏穂

2024年05月28日 | あ行の作家



●ケチる貴方

●その周囲、五十八センチ

二編の物語集。


主人公、佐藤さんはひどい冷えを常に抱えて会社勤めに励んでいます。

冷えの辛さ、どう耐えるか、対処するか、会社での日々と合わせて物語は進んでいきます。
読み手の私も耐えなければなりません。佐藤さんの冷えと佐藤さんの勤める会社に。

ある新聞でこの本が紹介されて、それ以来私の中では「読みたい本ランキング第1位」でした。
しかし、最寄りの図書館にはなく、書店を巡っても出会いはなく、通販で買うしかないか…と思いながらも買わずにあきらめかけていたところ、他県の図書館で出会いました。図書館広域利用で借りることができるのです。ありがたいです。

そんな待ちに待った本だったのに、読んでみたらちょっとシンドイ…。
シンドイから牛歩のような読み進み具合…。
しかも、どんなケチな人が出てくるかとワクワクしていたのに、ケチな人いる?の状態だし。

どうしたものか?
と、読んでいたら、突然読めてきました。

この本、おもしろーい!!

そう、それは佐藤さんの身体に異変が現れだした瞬間。
私の脳内も変わりだしたのです。
そして、あっという間に読了。

でも、何だろうな、すっきりしない。

佐藤さんは自分の体熱を「親切」あるいは「いい人」というお金で買って、結局赤字になって破産してしまった…。

そして、それに誰も気づかない。医者でさえも彼女の冷えを知らない。

いろいろ着込んで、厚着して、その上鎧も身に着けて、武装して、必死に隠して囚われて。
誰にも、触られない心の奥深く。


ひとつの狭い会社の中のもろもろの出来事が、日本という国の中で生きる女性の姿に重なります。
佐藤さんの生きづらさは、日本の女性たちの生きづらさ。
しんしんと冷えてきて。
これから春がくるよ、の冬ではなく、ただただ冬の真っ最中なのでした。
そうして、願うのです。
佐藤さんが、終ぞ手が届かなかったそれに、何とか届きますように。


<本文より>

●ドケチな魂にはドケチな肉体がお似合いなのだ。

●「あたし、寒いの苦手なのよ」




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夢伝い /  宇佐美まこと

2022年08月09日 | あ行の作家

夢伝い
水族
エアープランツ
沈下橋渡ろ
愛と見分けがつかない
卵胎生
湖族
送り遍路
果てしなき世界の果て
満月の街
母の自画像

11編のホラー短編集

じわじわ~っと怖くなってくる物語集です。
登場してくる人たちがみんなかなしくて、怖さよりもかなしさの方が大きいかもしれません。

タイトルがみんな良いです。惹かれます。
「夢伝い」なんて、特に。
哀しい物語なのですが、逆に明るいギャグっぽい物語にしてもおもしろだろうなと思いました。
自分がもし動けなくて、自分がしたいことを誰かが代わりにしてくれて、しかもそれを見ること感じることが出来たらこんなに楽しいことはありません。
自分が行動しているのと同じですからね。
でも、代わりに行動する人は自分の人生を生きていないということになってしまうので、明るい楽しい物語にしたとしてもかなしくはあります。

誰かを自分の身代わりにするって、ある意味いじめです。

この物語集はいじめやDVの果ての物語のように思います。
友人、同僚、恋人、そういう身近な人たちからの仕打ちの結果が恐ろしい。
そして、その仕打ちに対する復讐や仕返しもまた恐ろしい。

エアープランツ、わが家のトイレにありますが、どうしましょう…。
浄化のためなんですけど。
観葉植物を置くと良いらしいので。

時々、水だけじゃなく、日光も浴びさせようと思います。
何より、風通しをよくすることが大事ですね。
自分の心のためにも。



本文より(「愛と見分けがつかない」より)

「憎しみと愛とは見分けがつかないのよ」

暗い思いは伝播するのだ。死んだ者から生きている者へと。そしてまた人から人へ。波長の合う者の心を侵食していく。





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薔薇のなかの蛇 / 恩田 陸

2022年07月29日 | あ行の作家


17年ぶりの理瀬シリーズです。
確か、「黄昏の百合の骨」を読んだような…。
あまり記憶はないのですが、百合の香りを覚えているのです。

この本を読んで、半ばまでなかなか読むスピードがあがりませんでした。
でも、後半はすらすら~っと読めました。
前半は文字から私の頭の中でイメージが出てくるまで時間がかかったのが、原因のひとつかなと思います。

そもそも、ブラックローズハウス、五館からなる薔薇をかたどった館、というのがイメージするのが難しい。
理瀬はブラックローズを日本の家紋の「陰桔梗」だと言いますが、花の形というより、私の頭の中では星形☆になってしまいます。

陰桔梗紋、その花びらの真ん中は建物ならどうなっているのか?
もしかして、オズワルド・レミントンが隠れていた煙突とか?

星形の中心は五角形、ペンタゴンです。

本の中には北見隆さんの挿絵が何枚かあるのですが、ブラックローズハウスの全容の絵は皆無。
五館からなる館の絵が見たいです。

さて、物語の中では二人が亡くなります。
「祭壇殺人事件」と呼ばれる血生臭い凄惨な事件なのですが、殺された人についてはほとんど描かれていません。
殺人事件なら、誰が殺されたのかが重要な問題だと思うのですが、ヨハンのさらりとした言葉だけで終わりです。

思うに、この殺された人物やなぜ殺されたのかを想像することこそが、蛇。
物語という薔薇のなかにある描かれていない、蛇。

それから、もう一人。クスリのオーバードーズで亡くなった人。こちらも気になります。
殺された人が、たった数行で終わりだなんて何だか可哀想過ぎます。

物語の始まりは霧雨。
この霧や雨が、とても効果的です。

読んでいる間、私の住むところは夏だというのに梅雨のような天気。
雨が降ったり、雷が鳴ったり、どんよりとした曇り空だったり。
この物語を楽しむには最適な空模様でした。


本文より

「なんか、不思議よね。イギリスの紋章とは全然違う。省略の仕方がハンパないっていうか、ものすごい洗練されてる。もしかすると、昔の日本人は、『本当に』ああいう形を自然の中に見てたんじゃないかって気がするわ。あたし、時々考えるの。昔の人と自分たちって同じものを見ても全く違うものを見てるんじゃないかって。今、隣に昔の人がいたら、同じ犬や花を見ても、目に映っているものは違うんじゃないかって」



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二人がいた食卓 / 遠藤彩見

2022年07月19日 | あ行の作家


新婚の男女の出会いから別れまでを食事をテーマに描いていく物語。


「好きな食べ物は何?」と訊かれたら、私は「スイカ!」と答えます。
スイカなら、食欲がなくても食べられます。
毎食だって食べられます。
そういう食べ物があるって大事なことです。
そうして、今なら、「好きなだけ食べろ」と言ってくれる人をパートナーにしたいと思います。

古民家に暮らすある男女の動画を観ていると、ふたりの価値感が心地よかったりします。
全く同じというわけでなく、あえて同じにしない、相手の違う価値感を尊重する、それでも大事なところは同じということが良いです。

さて、この物語ですが、自分とは違う相手の価値感を大事にしなかった、その結果が共に暮らせないということになってしまいます。

たとえ、栄養の面で価値があったとしても、望まない望んでいない食事を毎日毎日食べることは苦痛でしかないということです。

作る側からすれば何というわがままなことを!!ということになりますが。
作る側の妻の泉さんは一所懸命朝晩食事を作ります。
それはもう鬼の形相の一所懸命です。
その一所懸命が食卓を重くしていき、夫の旺介さんの食欲を奪ってしまします。
しかも、旺介さんは好きなものを好きなだけ食べるということも奪われていきます。
しかも、一所懸命作っている泉さんは責められない。

鬼の形相で作る食事と鬼の形相の妻との食卓はもはや恐怖で、楽しい食卓とは無縁になってしまいました。
作る側、食べる側、一方的な思いだけで、お互いに労わる心もないというのが決定的です。

言葉はなくてもありがとうの気持ちがあって食卓は楽しくなるのかもしれません。
どんなテーブルで食べようと、どんなメニューであろうと、どんな人と食事を共にしようと、笑顔で向き合える食卓がいちばんです。

物語にはふたりの同僚や、同じマンションの住人、義実家の人たち等々が登場してきます。
その人たちが、いろいろなことを妻の泉さんに気づかせてくれます。

歩み寄ろうとしたら、ほかの人を介さずにその深層心理に気づいたのでしょうか?

物語のラスト、泉さんが旺介さんのチーズ好きに気づく場面が衝撃的でした。
そもそもが違っていた…。
泉さんにしたら、これ以上のショックはないくらいのショックですが、言葉は当てにならないということなのですね。



本文より

家庭は食卓だ。

「餓える、って、我を食べるって書くでしょう?なんていうか、感謝とか褒め言葉とか、言ったら愛?そういうものに餓えたら自分を消耗しちゃうってことだと思うんだよね」
「奥さんが言ってた。自信があるから感謝や褒め言葉がなくてもなんとか頑張れるの、って」

「誰かのために作る料理は、自分のためだけの倍疲れるだろ?なのに亭主は何やってんだ。こんなところで道草食ってないで早く帰れってんだ、って思ってさ」

「おいしい身は仲間と味わって、捨てたいアラは野良猫に食わせるのさ」




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とわの庭 / 小川 糸

2022年07月14日 | あ行の作家


ひとりの女性の再生の物語。

名前はとわ。永遠の「とわ」と実母に名付けられ、その後「田中十和子」と市長に名付けられました。

永遠のとわとして母と暮らした日々の物語と、母と決別し新たに十和子として生きる日々の物語が力強くやさしく綴られていきます。
その境目は、地震。
あの地震の恐怖が、とわ自身を動かし生きる力をよみがえらせます。

物語はやさしいのに残虐です。とわを取り巻く自宅の庭の自然や動物はとてもやさしいのに。
実の母から受けるやさしさと虐待の数々。
飴と鞭。
甘さの後に味わう強烈な辛さ。
それはそれを与えた母もまたそれを味わったということ。そうやって生きるしかなかったという、かなしさ。

でも、そのかなしさも捨てる。自身が生きるために。
再び生まれるために、歩けない裸足の足で一歩一歩。

その一歩一歩は産道を通る一歩一歩。
とわは、十和子として再び生まれ、この世界で生きるための術を授けられます。
授けるのは全くの他人なのだけれど、彼女に寄り添い彼女に力を与えた彼女の庭の自然や動物たちのような存在です。
そうして、彼女の目のかわりとなる盲導犬と出会い、再びあのわが家へ。

親子、特に母と子の難しさ。母を取り巻く周りの難しさがそのまま子との難しさにつながって。
それでも、その難しさを解いてくれる何かがどこかにはあって、一歩前に足を出せば助けてくれる誰かにも出会える奇跡のようなものも確かにあって、
その場所に奇跡がないなら、どこか別の場所へ行ってみる。
自分の狭い世界から飛び出してみる。
空想でも物語でもいいから、自分の心地よい場所へ。とにかく行ってみる。自分を連れ出してみる。

たったひとつの自分の生だもの。
恨み辛みや、妬みや、そういうものに支配されてたまるか!!!
と。


安倍晋三元総理が銃撃され亡くなられ、容疑者の母の宗教の問題がクローズアップされて、
彼はその宗教を恨んでいたと伝えられていますが、恨みは母へ向かわなかったのでしょうか?

物語の中でとわは次第に母を理解していきますが、容疑者も母のかなしさを理解していた?
母を助けだしたかった?

とにかく、母には生きていてほしかったんですね。


本文より
わたしにおなかを空かさせていたのは、母さんなのかもしれない。

言葉にも蜃気楼というかオーラみたいなものがあって、ただ音として聞き流すのではなく、じっくりと手のひらに包み込むようにして温めていれば
そこからじわじわと蒸気のように言葉の内側に秘められていたエキスが、言葉の膜の外側ににじみ出てくるということが。



安倍晋三元総理のご冥福をお祈り申し上げます。
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口笛の上手な白雪姫 / 小川洋子

2018年11月01日 | あ行の作家

先回りローバ
亡き王女のための刺繍
かわいそうなこと
一つの歌を分け合う
乳歯
仮名の作家
盲腸線の秘密
口笛の上手な白雪姫



悲しみは至る所に転がっていて、人はどうしたわけか、それを拾ってしまいます。
ある悲しみは、消化されず、吐き出されるのをただ静かに待っている、その静かな時間の経過の貴重さを描く短編集。

どうしたら、吐き出すことができるのでしょう。

白雪姫を運ぶ王子様の家来が転んだ時に、白雪姫は、のどにつまらせたリンゴを吐き出した…。

自力と他力、ふたつが必要な気がします。自分の力だけではダメで、誰かの力だけでもダメで、自分と誰か、ふたつが合わさって、吐き出す力を得られる、たとえ、誰かが自分の想像上の人物であっても、偶然なきっかけであっても、それはそれでいいのです。
暗示力、そういう力を信じたくなります。

最初の「先回りローバ」を読んでいるとき、物語があまりにも静かに響いて来たので、何だか、微かに音が聞こえるような気がしたのですが、もしかしたら、あれはローバの口笛?

静かに微かに響いた音は、「一つの歌を分け合う」で子を失う母の悲しみにかき消されます。
その悲しみを見守る悲しみ、そうして、突然命を亡くした子の悲しみまで、悲しみは重なっていくのですが、吐き出されれば悲しみは、どこか清々しくさえあります。

思えば、童話の「白雪姫」の中で、一番悲しいのは、継母。
継母の中にあった吐き出されることのなかった悲しみを思うとき、継母も大事に大事にされた赤ちゃんの時はあったのに…と思うのです。


本文より

大事な何かを確かめ合う時、僕たちは無言の合図を送るだけで十分だった。

「大事にしてやらなくちゃ、赤ん坊は。いくら用心したって、しすぎることはない」


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鎌倉の家 / 甘糟りり子

2018年10月24日 | あ行の作家

家は、まるで木です。
動かず、風を受け、雨に打たれ、太陽を浴びる。

そうして、家は動かないのに、人はあっちに行きこっちに行き、戻り、そしていなくなる。

家は、動かないのに、家は擦り切れるし、傷む。
人が住まなければ、荒れ果てる。だから、手入れをし磨き飾る。

家は、まるで木です。
人の手を必要としている、木です。

甘糟りり子さんの住む鎌倉の家は、築90年。長い年月を経た家です。
最近は、断捨離だとかミニマリストだとか、物を持たないことが流行っていたりしますが、
この鎌倉の家は、古いものを大切に持っています。

本には、鎌倉の老舗のお店も登場してきます。
年月を経て、店仕舞いしたり、代替わりしたり、お店も変化していきます。
でも、記憶の中に残っている。

周りの人々も亡くなったり、病気をしたり、老いたり、変化していきます。
でも、その変化の月日を記憶できる。
記憶のありがたさ。

表紙の青い紋様が、鎌倉の海を思わせます。
和の紋様が、古い家のイメージとぴったり重なって素敵です。

紗綾形紋様は「不断長久」、梅紋様は「忍耐」「美」、麻の葉紋様は「すくすく育ちますように」、青海波紋様は「穏やかな暮らしが続きますように」

紋様に込められた願いが、家の、その家に住む人たちの願いです。


本文より

「値段は関係ないの。この中からひとつあげるといわれたら、どれがいいかって考えるのよ」

たちまち姿を変えていく火は物語そのものだった。最初はぼそぼそとつぶやくようだった火が、たちまちたからかに歌うようになり、時としてどなったりもする。

私は昔話が好きだ。現在のすべては過去でできているから。過去を大切にしない人は結局、今をかみしめられないのではないかと思う。







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ミ・ト・ン / 小川 糸(文) ・ 平澤まりこ(絵)

2018年09月26日 | あ行の作家
泣きたい気持ちは、どこへ行くのか?
泣きたい気持ちは、消されてもいいのか?

読後、そんな思いに駆られて、ふと思いました。
泣かないわけはない、って。
ただ、描かれていないだけ。そのマリカの気持ちを、読者はどれだけ想像できるか、それでこの物語の深さが決まるような。

編み物も縫物も、口を結ばせます。
口を結ぶと、不思議と平和になります。
だから、我慢できたのかも…。

我慢できたとしても、一度でいいからマリカを思いっきり泣かせてあげたい。

描かれていない、思いっきり泣く、という行為も平和だからこそ、なのでしょう。

編み物を通して平和になる心と、平和にならない環境。
ラトビアをモデルにした国、ルップマイゼに生まれ育ち、結婚し、働き、家を建て、命を育み、別れ、そして死を迎える、マリカの一生。

私的には、マリカの子供時代をもう少し読みたい、と思いました。愉快で活発で、…、と思ったら、それは国が平和な時なのでした。

平和はやっぱり尊いです。

平澤まりこさんの絵がカラーだったらいいな、と思いました。

これからの寒くなる季節に、おすすめの物語です。



本文より


正義というのは。それぞれの役割を果たすということなのかもしれません。

ミトンは、言葉で書かない手紙のようなもの。

「言葉というよりは、その思いだけを届ける感じかな。沈黙の言葉とでもいうのか、無言の会話なんだよ」




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赤へ / 井上荒野

2018年09月19日 | あ行の作家

虫の息 
時計 
逃げる 
ドア 
ボトルシップ
赤へ 
どこかの庭で 
十三人目の行方不明者
母のこと


死をめぐる10編の短編集。


近しい人の死が、さざ波を立たせます。近いければ近いほど、波は大きな波になります。
自分の心に、相手の心に、亡くなった人への悲しみとは別に、生きている人へのざわざわとした言いようのない黒い感情。
そういう感情が、まっすぐこちらへ届いてきて、私自身も不穏な気持ちになります。

なので、いつ読んでもオーケーという物語ではありません。
絶好調、まではいかないまでも、それなりに調子が良くて元気な時に読むべき本です。
死が続くことが、次第につらくなってきます。死が続くことに加えて、生きている人物の生きるつらさが、余計につらくさせます。

その中で、「虫の息」にはちょっと救われます。イクちゃんの号泣、よくわかります。
生きていてくれた、そのほっとした安堵感は、この本の不穏さの中にあって貴重です。

生きていてくれるって、本当にありがたいことですね。


本文より

ひとりの女が死んだ。その責を分かち合う者を失う恐怖だ。











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