新年 ほとほと
春 猫の恋/春の闇/エイプリルフール
夏 翡翠/鳴神月/出目金
秋 笹まつり/秋出水/月の舟/銀杏
冬 牡蠣殻/寒椿
春 夜の梅/小町忌/帰雁
夏 竹落葉/紫陽花/滝壺
秋 星月夜/虫時雨/栗の実/身に入む
冬 寒苦鳥
歳時記の季語をタイトルにした一回読み切りの24篇の短編集。
一篇が10ページくらいの歳時記物語集なのですが、その一篇の端的さに驚かされます。
高樹のぶ子さんの筆力があっての物語です。
季語、例えば、「ほとほと」(新年の季語)
「ほとほと」
中国地方を中心にその年の幸福を予祝して小正月に行われた行事。 簑や笠、風呂敷などで顔や体を隠して神の化身に扮した若者が家々をまわり、鏡餅などの縁起物を置き、かわりに餅や祝儀をもらった。 家々の戸をたたくときの音、又は家々をまわるときに唱える「ほとほと」という声が名前の由来といわれている。
この家の戸を叩く音をテーマに描いた物語「ほとほと」は、インパクトがあって、艶やかで、ちょっと不気味な感じもあったりして、楽しめます。
何より、ハッピーエンドがいいです。幸福感、大事ですよね。
「ほとほと」を検索したら万葉集のこの歌に出会いました。
中臣朝臣宅守と狭野茅上娘子の贈答歌
「帰り来 (け) る人来たれりと言ひしかばほとほと死にき君かと思ひて」
ーーー流刑地から戻った人が来ていると聞いて、死ぬほど嬉しかったのに、あなたが帰ってきたと思ってーーー
季語とは違う「ほとほと」ですが、万葉集でも歌われていた言葉なのですね。
そして、この本の「ほとほと」の主人公の女性もこの和歌の女性と同じような気持ちを味わっています。
目が覚めたら隣に寝ているはずの人がいなかった…。この絶望感。
絶望感の手前の死んでしまうほどの幸福感があっての絶望感。涙が出そうになります。
万葉集のふたりがその後どうなったのかわかりませんが、物語の「ほとほと」では絶望感のままでは終わらせません。そこからが高樹のぶ子さんの真骨頂。
絶望感ののち、また幸せを描いていきます。このジェットコースター的な絶望と幸福が最高なのです。
現実的なものなのかどうかはもはやどうでもよいこと。
例え、空想であったとしてもあの世的であったとしても、読み手の私もとっても幸せ。この世からあの世へ飛んじゃうくらい。
この世にはいろいろな人がいて、いろいろなことを胸に抱えて、いろいろなことを頭に描いて、背中に背負って、毎日を手探りながら歩いている…それを改めて思いました。
思い描くことは自由だから、亡き人との逢瀬も会話も自由、縮こまるのではなく、のびのびとそれを楽しんだらいい。そんな感じで語られています。
そして、たまには「ぎゃふん!!」とやられちゃったりして。それも仕方ない。そんな鷹揚な24の物語たち。読後は愛しさが残りました。
<あとがきより>
豊かな情緒が濃縮された季語は日本の宝です。その濃く詰まった一語を水に浸してゆるゆるとほどき、思いのままに物語として開放出来る幸せを、噛みしめ味わうことの二年間でもありました。
いつしか無限脳のような、あの世とこの世を結ぶやわらかな世界が出現したのも、季語の魔力だろうと思います。