「伊勢物語」をモチーフにした不思議な恋物語。
現代を生きる梨子さんの物語と、梨子さんの夢の中で生きる人々の物語が並行して進んでいきます。
物語には恋がいっぱいあふれています。
梨子さんの初恋。
吉原の花魁の春月としての梨子さんの恋。
平安時代の在原業平に嫁ぐ姫さんの恋。姫さんの女房としての梨子さんの恋。
梨子さんの夫であるナーちゃんの恋。
梨子さんのお琴の先生、通子さんの恋。
高丘さんの恋。
そして、肝心な在原業平の恋…などなど。
とても数えきれません。
これだけ恋がいっぱいあふれていたら混乱するのでは?と思いますが、順を追って恋をしていくので恋は整然としています。
現と夢と。
それがはっきりとしているのが、整然としている理由です。
でも、やがて梨子さんは夢を見なくなっていきます。
夢をみないことには、過去に行って恋もできない。それが、さだめです。
だから、高丘さんにも会えない。
そうなのです。高丘さんは夢のひと。
高丘さんは梨子さんの夢で生きる人であり、梨子さんの夢の、夢をつなぐという役どころの人なのです。
そもそも、なぜ梨子さんは夢を見たのでしょう?
夢は隠れ蓑だからなのです。
隠れ蓑に包まれている限りは安らか。だから夢へ行くのです。
現の傷を癒す場所、それが夢なのです。
梨子さんには生きるために生きるがゆえに夢が必要でした。
現で、夢で、梨子さんはいろいろ経験をします。
その経験が糧となってひとりでも生きていける女性へと成長していきます。
ひとりで生きていける梨子さんは、隠れ蓑は必要としなくなっていきます。
やっと地に足をつけて歩いて行ける女性になったのです。
そんな大人の女性としてのこれからの恋。
さて、梨子さんは、どんな人に出会ってどんな恋を語るのでしょうか?
意外と、
私は梨子さんの夢が作った高丘さんではなくて、現の本当の高丘さんに出会うのではないか、という気がしますが…さて?
恋はしてもしなくても、この物語は現代を生きるわたしたち女性へのエール。
過去、今、そして未来。
変わっていくようで、変わらないいのちの営み。
どうにもかなしいときは、夢へ。
どんな過去でも、未来でも、
隠れましょう。
本文より
そう。確かに、わたしの立っている場所はすかすかで、その隙間を通して、むかしのことや、むかしむかしのことや、今のナーちゃんのさまざまが垣間見えてしまうのです。そして、それらのことごとが、わたしを揺らし、迷わせ、不確かにしてゆくのです。
つまり、外仕事は人さまの決断に従わなければならないストレスが大きく、家仕事は自分で決めなければならないストレスが大きいっていうことなのよね。・・・・・略・・・・
「引き裂かれているのね、わたしたちは」