沖永良部島の南部の屋子母という地区にある越之山神社。
地元の人たちにも建立の歴史やその存在は今はあまり知られていない神社のようで、私もつい最近に存在を知りました。
区長や地主の方の話によると、わずかに残る伝承では神社には世之主に関係する方を祀っているそうです。その方が亡くなるときに地元の沖縄の見える場所にお墓を作ってほしいとのことで、少し高台になっている現在の神社の後方付近にお墓があったようですが、訳があって近世になって神社が建立されたようです。現在の社殿は昭和初期の建立だそうです。
区長や地主の方の話によると、わずかに残る伝承では神社には世之主に関係する方を祀っているそうです。その方が亡くなるときに地元の沖縄の見える場所にお墓を作ってほしいとのことで、少し高台になっている現在の神社の後方付近にお墓があったようですが、訳があって近世になって神社が建立されたようです。現在の社殿は昭和初期の建立だそうです。
下の道路から少し登っていくと神社があります。
こちらが社殿です。
祭壇には観音様が安置してありますが、これは近年になって宮崎県のお坊さんに祀りごとをお願いすることになったときに、お坊さんから譲り受けたものだそうです。
神社にお坊さんやら観音様とは、神仏共存の永良部の不思議の1つなのですが、、、
さらにそこには、その世之主の関係者といわれる人物の厨子甕が置いてあります。
このタイプの甕は1600年代後半以降のものではないかと思いますが、ちょっと変わったレリーフがあります。
世之主の関係者といっても、厨子甕の年代から見ると北山王の次男であった世之主の時代の関係者ではないかもしれないと思われるのですが、そこには続きの話がありました。
続きは次回に書きます。
このタイプの甕は1600年代後半以降のものではないかと思いますが、ちょっと変わったレリーフがあります。
世之主の関係者といっても、厨子甕の年代から見ると北山王の次男であった世之主の時代の関係者ではないかもしれないと思われるのですが、そこには続きの話がありました。
続きは次回に書きます。
*神社や社殿内部の写真は許可をとって撮影させてもらっています。