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先祖を探して

Vol.389 宗家に連なる人々8:新納政吉翁胸像

沖永良部島の知名町田皆地区にある「新納政吉翁胸像」。そこに書かれている碑文を紹介します。


新納政吉先生は明治七年住吉の平政清の二男として生まれ、同三十五年田皆の名門新納直橋氏の養子となりました。若き時代は教育に情熱を傾注しておられましたが、明治四十四年から二期間県議会議員をつとめました。その間大島汽船を創設就航させて離島苦を解消し、奄美群島商工会議所の会頭として信用金庫の前身産業組合を設立し、知名正名間の県道を田皆まで延長して島民の生活向上に貢献されました。わけても田皆岬を中心に東西六十町歩に及ぶ共有地は先生の努力で県から払い下げられました。この共有地はある時は役牛馬の牧草地となり戦後の食糧難時代には内地からの引揚者や土地の少ない人々の耕地となり、又、防風林は隣接農地を災害から守りました。更に植樹したソテツやトラバーチンは学費や田皆振興資金となり常に部落繁栄の基礎となっています。これは先生が私心にとらわれることなく公共のために尽されたお蔭です。先生に敬意を表し先生の英姿を偲ぶためここに胸像を建立し永久にその功績を称えるものであります。
昭和四十九年十月吉日
田皆部落民一同
知名町史P1013掲載

この新納政吉氏、地元の集落のために大変に貢献なさった方のようです。
このような方がいらしたおかげで、この地区は苦難に救われたようで立派なお方だなと尊敬の念で碑文を読んでおりましたところ、大変な気づきがありました。
政吉氏は平政清氏の次男として生まれたとの記述がありますが、この父親でいらっしゃる平政清氏というのは、当家の親戚になる家なのです。
政清氏の父親は平良直政といい、宗の本家から分家された家です。
我が家の義経お爺さまの母親は平良直政氏の妹にあたる方で、当家とも嫁の行き来があり近しい親戚になります。

新納家に養子に行かれたとはいえ、もとを辿れば宗家一族の生まれの方です。
一族の中にはたくさんの素晴らしい方がいらっしゃいますが、こうして新たに発見できたことを嬉しく思いました。

ちなみに田皆地区というのは沖縄寄りの島の南部の方です。
トラバーチンというのは石灰岩が再結晶化してできる大理石のようなもので、この岬の石切り場で大理石が採取され、沖永良部産のトラバーチンは国会議事堂に使われているそうです。



人知れず、静かに穏やかに歴史のある沖永良部島でした。



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